いわゆる新型コロナ・ウイルス感染症を、
――我
の視点で考えるときに――
最も差し迫った主題は、
――私が感染をしたら、生き延びられるのか。
でしょう。
……
……
新型コロナ・ウイルスが日本国内にも蔓延する可能性が報道され始めた頃――
職場・家庭での会話やインターネットでの書き込みの内容などを念頭に、
――まるで1億総コメンテーター状態である。
と揶揄する向きがあったそうです。
ここでいう「コメンテーター」とは、テレビのニュース番組や情報番組などに出演している人たちのことです。
そういう人たちは公共の電波でコメントをしていて――
その大部分は、
――衆
の視点でなされている――あるいは、なされようとしている――ことは明らかですから、
――1億総コメンテーター
と揶揄されたコメンテーターたちは――僕も含めて――
――衆
の視点で新型コロナ・ウイルスのことを語ろうとしていたはずです。
が――
実際には――
その“1億人のコメンテーターたち”は――僕も含めて――
――我
の視点から――
この問題に関心をもったはずなのですよね。
――自分が感染したら、はたして生き残れるのだろうか。
と――
報道されている通り――
新型コロナ・ウイルス感染症では、基礎疾患――つまり、深刻な持病――があって、かつ年齢の高い人ほど、落命をする危険性が高いので――
その“1億人のコメンテーターたち”の多くは、たぶん自分の持病や年齢を一度は真剣に振り返ったのです。
が――
この振り返りは、非常にプライベートなことであり、とても気軽に他者と共有できるようなことではありません。
よって――
当然ながら、
――1億総コメンテーター状態の有望コンテンツ
とはなりえませんでした。
致し方ないこととは思いますが――
もし――
その“1億人のコメンテーターたち”が、何かに気兼ねすることなく、
――我
の視点で、本気の座談を繰り広げたならば――
その座談は、実に多彩で凄味のある示唆を含んだことでしょう。
少なくとも揶揄の対象にはならなかったと思います。