マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

集団免疫:結果であって方法ではない

 ――集団免疫

 について――

 きのうの『道草日記』で触れました。

 

 大雑把にいうと、

 ――ある感染症について、その免疫を獲得している人たちが、ある集団の中で増えれば増えるほどに、まだ免疫を獲得していない人たちまでもが、その集団の中では、あたかも免疫を獲得しているかのように、感染を起こしにくくなること――

 が、「集団免疫」です。

 

 どれくらい免疫のある人が増えれば有意なのかは、個別に考える必要があるようですが――

 強いて一般論をいえば、

 ――過半数

 つまり、

 ――60%程度以上

 でしょう。

 

 このことから、「免疫のある人が60%程度以上になること」をもって、

 ――集団免疫の獲得

 とみなすこともあります。

 

 ひとつ注意しなければならないのは――

 この「集団免疫の獲得」は、

 ――結果であって方法ではない。

 ということです。

 

 どんな感染症であっても、宿主となる生物の個体で免疫系が機能する限りは、集団免疫は成立するものなのです。

 

 よって――

 例えば、

 ――新型コロナ・ウイルス感染症対策として、“集団免疫の獲得”を目指す。

 というようないい方は、少しおかしいのですね。

 

 (「目指す」も何も、いずれは必ずそうなるはず――)

 であるからです。

 

 ただし――

 この“集団免疫の獲得”を早めるか否か――あるいは、遅らせるか否か――

 

 その選択ならば――

 ある種の方法といえるでしょう。

 

 簡単にいうと――

 社会や共同体において――

 “集団免疫の獲得”を早めれば、その分、感染症対策に徹する期間は短くなりますが、感染死は多くなり――

 “集団免疫の獲得”を遅らせれば、その分、感染症対策に徹する期間は長くなりますが、感染死は少なくなる――

 と考えられます。

 

 現在――

 世界各国が採っている方法は、後者――

 つまり、

 ――“集団免疫の獲得”を遅らせることで、感染死を少なくする。

 です。

 

 感染症対策に徹する期間は相応に長くなることが――

 想定されています。

 

 そのことに――

 僕らは十分に留意をしておく必要があります。