マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ブレイン・マシン・インターフェイスはマン・マシン・インターフェイスの一つの形かも……

 いわゆる、

 ――ブレイン・マシン・インターフェイス(brain machine interface)の実現

 が、

 ――人らしからぬ厳密性の獲得

 を意味しているのかもしれない、ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 が――

 そうした見方を、

 (おおげさだ)

 とみる向きもあります。

 

 ――ブレイン・マシン・インターフェイスは、マン・マシン・インターフェイス(man machine interface)の一つの形に過ぎない。

 という見方です。

 

 ――マン・マシン・インターフェイス

 は、

 ――ヒューマン・マシン・インターフェイス(human machine interface)

 とも呼ばれます。

 

 ――ブレイン・マシン・インターフェイス

 に従って日本語らしく書き換えれば、

 ――人と機械とを繋ぐ技術

 となります。

 

 マン・マシン・インターフェイスは――

 そんなにびっくりするようなことではありません。

 

 人の意志を情報として取り出して、その情報を機械に作用させたり――

 機械が作用して得られた情報を人に伝え、その人の意志に反映させる技術です。

 

 具体的には、音響機器のツマミやスピーカ、テレビのリモート・コントローラや表示機能、コンピュータのキーボードやディスプレイ、自動車のアクセル・ブレーキやメータなどです。

 

 人と機械とを繋ぐ際に、人の手足や耳目を介さず、直に脳と繋ぐことがブレイン・マシン・インターフェイスの特徴であり――

 人と機械とを繋ぐこと自体は、機械が発明された頃から連綿と続けられている――

 とみることもできます。

 

 こうした見方に立てば、

 ――ブレイン・マシン・インターフェイスの実現

 が、

 ――人らしからぬ厳密性の獲得

 であると結論づけるのは勇み足であるといえます。

 

 ――機械をたんに今より便利に扱えるようになるだけだ。

 とみることもできるのです。