マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“怯・勇”軸および“憂・喜”軸に関する補足

 ――“怯(きょう)・勇”軸

 である、

 

  ←錯乱―臆病―心配―安心―自信―過信―傲慢→

  ←恐慌―不安―安穏―安穏―安穏―不穏―興奮→

 

 と互いに独立の軸として、


  ←絶望―自棄―悲哀―平静―愉快―高揚―恍惚→

  ←大鬱―抑鬱―平気―平気―平気―軽躁―狂躁→

 

 という軸を考え――

 これを、

 ――“憂・喜”軸

 と呼びたい――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 どちらの軸も上段と下段とに分かれています。

 が、とくに意味はありません。

 同じ軸の違った側面を表しているにすぎません。

 

 強いていえば、

 ――上段は日常会話的な言葉で表される側面であり、下段は精神医学的な術語で表される側面である。

 ということです。

 

 少し補足をします。

 

 “怯・勇”軸の下段で、

 

  ←恐慌―不安―安穏―安穏―安穏―不穏―興奮→

 

 のように、「安穏」が3つ連なっているのは――

 この3つの部分は、

 ――必ずしも病的ではない。

 ということを意味しています。

 

 裏を返すと――

 この3つの部分の外方は、

 ――多少なりとも病的である。

 ということです。

 

 よって――

 “怯・勇”軸について、下段を上段と比べてみますと、

 ――「錯乱」「臆病」「過信」「傲慢」は多少なりとも病的であるが、「心配」「自信」は必ずしも病的ではない。

 といえます。

 

 “憂・喜”軸についても、まったく同様のことがいえ、

 ――「絶望」「自棄」「高揚」「恍惚」は多少なりとも病的であるが、「悲哀」「愉快」は必ずしも病的ではない。

 となります。

 

 また――

 “怯・勇”軸と“憂・喜”軸とは、

 ――互いに独立である。

 とも述べました。

 

 このことは――

 これら2本の軸を図に示したら、

 ――互いに直交をしている。

 というに等しい、ということは――

 おとといの『道草日記』で述べた通りですが――

 

 いいかえますと、

 ――「“怯・勇”軸のどこに位置づけられるか」ということと「“憂・喜”軸のどこに位置づけられるか」ということとは互いに無関係である。

 ということでもあります。

 

 つまり――

 例えば、

 ――常に「不安」と「抑鬱」とが組み合わさる。

 とか、

 ――常に「不穏」と「軽躁」とが組み合わさる。

 ということはなく、

 ――「不安」と「抑鬱」とが組み合わさることもあれば、「不安」と「軽躁」とが組み合わさることもあるし、「不安」と「平気」とが組み合わさることもある。

 とか、

 ――「不穏」と「抑鬱」とが組み合わさることもあれば、「不穏」と「軽躁」とが組み合わさることもあるし、「不穏」と「平気」とが組み合わさることもある。

 ということです。