――“憂・喜”軸
として、
←絶望―自棄―悲哀―平静―愉快―高揚―恍惚→
←大鬱―抑鬱―平気―平気―平気―軽躁―狂躁→
というものを考えたい――
ということを、おとといの『道草日記』から繰り返し述べています。
←絶望―自棄―悲哀―平静―愉快―高揚―恍惚→
←大鬱―抑鬱―平気―平気―平気―軽躁―狂躁→
という軸をみて、
――これは、要するに「気分の浮き沈み」のことでしょう。
と指摘をされる向きもあろうかと思います。
その通りです。
つまり――
“憂・喜”軸とは、本来、
――気分軸
とでも呼ぶべきものでした。
2019年1月25日の『道草日記』で――
僕は、
――感情は、“前景の感情”である情動と“背景の感情”である気分との2つに分けられる。
と述べました。
――情動
の典型例として、
――歓喜
や、
――憤怒
を挙げ、
――気分
の典型例として、
――高揚
や、
――憂鬱
を挙げています。
「情動」については、今は措きます。
まずは「気分」について――
……
……
2019年1月25日の『道草日記』で、
――気分
の典型例として挙げた「憂鬱」は、
←絶望―自棄―悲哀―平静―愉快―高揚―恍惚→
←大鬱―抑鬱―平気―平気―平気―軽躁―狂躁→
でいうところの「大鬱」および「抑鬱」に当たります。
精神医学では、“憂鬱”のうち、重いものを「大鬱」と呼び、軽いものを「抑鬱」と呼びます。
「抑鬱」は、たんに「鬱」と呼ばれることも少なくありません。
「大鬱」があるのだから、「小鬱」があってもよさそうですが――
なぜか「小鬱」という言葉はききません。
おそらくは「小鬱」の意味で「プチ鬱」という言葉が用いられますが――
少なくとも精神医学で正式に用いられることはありません。
一方――
2019年1月25日の『道草日記』で、
――気分
の典型例として挙げた「高揚」は、
←絶望―自棄―悲哀―平静―愉快―高揚―恍惚→
←大鬱―抑鬱―平気―平気―平気―軽躁―狂躁→
でいうところの「高揚」と同じです。
が――
この「高揚」という言葉が、「大鬱」や「抑鬱」と対に用いられることは、それほど多くありません。
しばしば用いられるのは、「躁」および「軽躁」です。
精神医学では、“高揚”のうち、軽いものを「軽躁」と呼び、重いものを「躁」と呼びます。
「軽躁」があるのだから、「重躁」があってもよさそうですが――
なぜか「重躁」という言葉はききません。
おそらく、「躁」といえば、
――ふつうは重い。
とみなされるからです。
よって、
←絶望―自棄―悲哀―平静―愉快―高揚―恍惚→
←大鬱―抑鬱―平気―平気―平気―軽躁―狂躁→
でいうところの「狂躁」は――
本来は、たんに「躁」と記すのがよいのでしょうが――
それでは収まりが悪いので、「狂躁」と記しています。