マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

医療の世界にはプロしかいない――アマがいない

 たいていのことには、

 ――プロ

 と、

 ――アマ

 とがいるのですが――

 なかには、

 ――アマしかいない。

 という領域もあります。

 

 例えば――

 スポーツのマイナーな競技では、たいていアマしかいません。

 

 マイナーな趣味なども、そうです。

 

 反対に――

 プロしかいない領域もあります。

 

 医療がそうです。

 

 いわゆる医療従事者は、ほとんどが国家資格を与えられることで就業を許されます。

 国家資格がなければ、医療に従事をしてはいけないのですね。

 

 つまり――

 国家資格の制度がアマの存在を弾き出しているのですね。

 

 これは――

 医療従事者にとって――

 ある意味で、寛大なことであり――

 ある意味で、過酷なことであると――

 僕は思っています。

 

 ……

 

 ……

 

 医療の世界に身を置いてから――

 学生の頃も含めると――

 かれこれ30年近くになります。

 

 ――医療の世界にはプロしかいない――アマがいない。

 という話を初めて耳にしたのは――

 今から25年ほど前のことです。

 

 当時、関西の医療圏で、大学病院の教授職に就いていらした方から伺いました。

 その方は、もちろんご自身も医師であり、日頃、大勢の若い医師たちを統べるお立場でした。

 

 ――若い医師には、いつもいっている。「この世界にはプロしかいないのだ」と――例えば、音楽の世界をみてみろ。プロよりも遥かに多くのアマたちがいる。そうしたアマの中には、プロの技量を超えるアマも少なからずいる。スポーツの世界だってそうだ。そういう世界でプロとしてやっていくのが、どれほど大変なことか、わかるであろう。私たちは恵まれている。

 

 そんなお話でした。

 

 そのときは、

 (たしかに、そうだ)

 と思ったのですが――

 

 それから10年くらいが経って――

 

 (ちょっと待てよ?)

 と思い始めました。

 

 (「プロしかいない」というのは、本当に恵まれたことなのか……)

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 5日前の『道草日記』で、

 ――プロはアマに支えられている

 ということを述べました。

 

 ――プロしかいない。

 というのは、

 ――アマがいない。

 つまり、

 ――プロを支えるアマがいない。

 ということです。

 

 このことの悪弊は――

 実は、けっこう挙げることができて――

 それはそれで、どれも興味深いのですが――

 

 きょうは、端的に1つだけ触れます。

 

 5日前の『道草日記』で、僕は、

 ――プロの高みはアマの裾野の広さで支えられている。

 とも述べました。

 

 (過酷だな)

 と思うのは、この点です。

 

 アマの裾野の広さがゼロなのに、プロの高みを目指さなければならない――

 

 それは、さながら、

 ――摩天楼のビルを登るような難しさ

 といえるでしょう。