――医療の世界でプロの高みを目指すことには、摩天楼のビルを登るような難しさがある。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
それは――
つまり、
――事前に入念な準備を重ねた上で、きわめて人為的に――あるいは人工的に――プロの高みを目指す必要がある。
ということです。
あるいは、
――「ただ何となく皆が自然とプロの高みを目指す」ということは、ちょっと起こりそうにもない。
ということです。
もちろん――
その“摩天楼のビル”に“エレベーター”はありません。
自らの“足”で――つまり、“階段”で――登っていく必要があるのです。
非常階段のような薄暗く殺風景な空間をひたすら登っていく――
というほどに過酷ではありませんが――
窓があったところで――
そこからみえる景色は、それほど変化をするわけではありません。
少なくとも――
自然の登山道と比べたら、ずっと変化に乏しい――
渓谷のせせらぎが耳を和ませたり――
野生の花や鳥が目を楽しませることもない――
……
……
ときどき――
才気あふれる10代の人が、家族や親戚、あるいは学校の教師などから、
――将来は医者になったら?
と促され、
――いや、それはやめておく。
と断る話を見聞きします。
その理由は、個々の事例で微妙に違うのですが――
おそらく――
どの理由にも共通をしていることは、
――摩天楼のビルを階段で登るようなことはしたくない。
という嫌悪感であろうと思います。
才気あふれる10代の人は――
医療の世界の“摩天楼”を直観で見抜いてしまうのですね。
……
……
大学の医学部で教えている人の中には――
医学生に向かって、
――自分に特別な才能があると思えるか。
と訊く人があります。
その真意は、
――もし、特別な才能があると思うのなら、悪いことはいわない。若いうちに、その可能性を究めておけ。無理に医者になることはない。
です。
そして――
それは、
――もし、特別な才能がないと思うのなら、医療の世界が向いている。謙虚に地道に精進を重ねていくがよい。退屈をしない人生になる。
ということでもあります。
医学生の教育には多額の税金が投入をされていますから、
――無理に医者になることはない。
というのは、ちょっといいにくいのですが――
医者になってから医療の世界の“摩天楼”に気づき、辟易とされた挙句、いい加減な診療をされては社会の迷惑ですから――
少なくとも医学の教育に直に携わる者には――
そうした助言を、ときに勇気を振り絞って口にする必要がある――
そう、いえるでしょう。