――医療の世界の“摩天楼”
について、きのうの『道草日記』で述べました。
この“摩天楼”が建てられ始めたのは――
古代ギリシャ――紀元前300年頃――であろうと考えられます。
いわゆるヒポクラテス学派と呼ばれる古代医療従事者たちの集団です。
もちろん――
古代ギリシャには、ヒポクラテス学派以外にも、そのような集団は存在をしていたでしょうが――
長い歴史の中で淘汰をされていったと考えられます。
ヒポクラテス学派と似た考え方で医療を試みた集団は、やがて感化や吸収をされていき――
ヒポクラテス学派と似ても似つかない考え方で医療を試みた集団は、やがて無視や排除をされていった――
そう考えられます。
では――
ヒポクラテス学派の考え方とは、どのようなものであったのでしょうか。
……
……
一言でいってしまえば、
――詳細な観察と若干の介入――
です。
患者の様子――ときに患者自身にとどまらず、患者の置かれた状況――を詳細に診て、一つひとつ記録に残す――
これが「詳細な観察」です。
そして、
――この患者は、このような病を患っているのではないか。
との仮説を立て――
その仮説の妥当性を判じるために、比較的に安全と思われる検査法や治療法を試していく――
これが「若干の介入」です。
最も大切なことは、
――伝聞的な経験や未確認の前提に基づく仮説は扱わない。
ということでした。
端的にいえば、
――呪術や迷信は扱わない。
ということです。
こうした考え方は――
21世紀の現代においても、医療の基本になっていますから――
その有効性は明らかです。
が――
一つ難点がありました。
――医療の発達は非常に緩徐であるということが明らかになってしまう。
という難点です。
実際に、医療の発達は非常に緩徐であり――
それは否定のしようがない事実なのですが――
それが、どれくらい緩徐――つまり、ゆっくり――であるかというと――
その程度は――
ヒポクラテス学派の時代から2300年くらい経った現代においてさえ、まだ発達の途上にある、ということから――
自ずと推し量れるでしょう。
――自分が生きている間に医療は完成をしえない。
この諦念が――
ヒポクラテス学派の考え方の根底にはあります。