マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

中途半端な科学者

 優れた医師は――
 自分が、

 ――中途半端な科学者

 であることをよく知っています。

 ここでいう「科学者」は、自然科学者のことです。

 自然科学者の営みとは――
 実験や観察に基づく新たな知見の確立です。

 それまでの知見をもとに、新たな仮説を立て――
 その仮説の妥当性を判断するために、実験や観察を行い――
 その結果で妥当性を判断し、新たな知見を得る――

 得られた知見をもとに、さらに新たな仮説を立て――
 その仮説の妥当性を判断するために、実験や観察を行っていく――

 それが――
 自然科学者の営みの理想形です。

 これら自然科学者の行う実験や観察のうち、医師が行えるのは、

 ――不十分な観察

 のみです。

 医師は、基本的には、実験を行えません。

 医師が行う実験は、すべからく“人体実験”ですから――
 よほど特殊な実験でない限り、倫理的問題を克服できないのです。

 観察なら、こまめな診察や検査をもって代用できないことはないのでしょうが――
 診察や検査の対象の事情を考慮すれば、“こまめな診察や検査”は過酷です。

 ここでいう「診察や検査の対象」とは、とりもなおさず、日々の生活を抱えた患者であるのですから――

 よって――
 優れた医師は、自分が「中途半端な科学者」であることを思い知るに至るのです。

 このことは――
 医師が学者業に手を出すときには、慎重な選択が求められることを意味します。

 自分が医師であることを忘れ――
 医療の実践と直接には結びつかない知見をもとに、自然科学者として十分な実験や観察を目指すのか――

 あるいは――
 自分が医師であることを忘れずに――
 医療の実践と直接に結びつく知見をもとに、「中途半端な科学者」として「不十分な観察」で辛抱するのか――

 優れた医師が学者業に手を出すときには――
 その選択を慎重に済ませていることが、ほとんどです。