――なぜ私のような者が医学部に合格できたのか。
と――
謙遜を混じえて振り返る受験体験記には――
ときに手厳しい批判が寄せられます。
――将来、医師になることの責任を、きちんとわきまえているのか。
と――
あるいは、
――そもそも「なぜ私のような者が……」という発想がおかしい。「医師になりたい」と思い、「自分なら合格できる」と考え、それに見合った努力をしたからこそ、医学部に入学できたのであろう。
とか、
――あたかも「学校の勉強が苦手だったが、その苦手を克服すべく努力を重ねたら、医学部に合格できそうな成績になったので、受験し、合格した」とでもいいたげな態度は、世間知らずの極みである。
とか――
……
……
医療現場でバリバリ働く中高年の医師から寄せられる批判です。
背景には――
10代の有能な人材が概して医師を目指す風潮は、世の中のためにならない――
という信念があります。
医師を含む医療従事者は、人々の病気や怪我に向き合うのが役割です。
そうした役割は――
世の中をツラく苦しいものにしないためには有効なのですが――
世の中を楽しく面白いものにするためには、さほど有効ではありません。
世の中を楽しく面白いものにするのは――
例えば、科学技術の画期的な革新であり、それに伴う未知の産業の勃興です。
そうした革新や勃興にこそ、多くの有能な人材が関与し、寄与してほしい――
そうでなければ、世の中に今以上の発展はありえない――
それが――
前述の受験体験記を批判する医師らの根拠です。
……
……
たしかに――
今までは――
それで良かったのですが――
……
……
(これからは、ちょっと違うかもしれない)
と――
僕は思っています。
……
……
人工知能が目覚ましい発展を遂げています。
向こう30年のうちに――
人間の仕事の多くを奪っていくであろう、と――
予測されています。
医師も例外ではありません。
医師の仕事の要諦は、診断および治療です。
診断とは――
病気や怪我の有無を見分けること――
病気や怪我があるならば、その性状を見極めること――
です。
治療とは――
診断で見分け、見極めた病気や怪我を治すこと――
あるいは、それ以上に悪くしないこと――
です。
こうした仕事の中核は情報収集や演算思考です。
よって――
人工知能が十分に請け負えます。
むしろ――
人工知能のほうがミスをしにくいくらいです。
ただし――
診断や治療の全てを即座に人工知能が請け負えるようになるとは――
ちょっと思えないので――
人工知能時代になっても――
人間の医師は残るでしょう。
が――
人間の医師が請け負う診断や治療は大幅に減り――
その中心は、ヒトの体の研究――
すなわち――
原因不明の病気の原因の特定や、その特定の過程で生み出される仮説の検証に移るはずです。
科学では――
仮説の検証は、通常、実験や観察によって行います。
が――
ヒトの体の研究では――
主に倫理的な観点から、自由な発想による実験や観察が許されません。
よって――
ヒトの体の研究では、診断や治療に着目し、患者の利益を損なわない範囲で、仮説の検証を試みることになります。
つまり――
ヒトの体の研究には、科学者では決して手を出せない領域が――医師でないと、なかなか手を出せない領域が――
どうしても残されるのです。
よって――
人工知能時代なら、
――なぜ私のような者が医学部に……。
といった受験体験記をうっかり書くような人材であっても――
医師になる意義が十分に認められます。
人間の医師の集団が、ヒトの体の研究に切り込んでいくには――
その集団が、多種多様な人材で構成されている必要があるからです。
その集団の中には――
自分が何者であるのか、結局は何をしたいのか、実際に何ができそうなのか――が、皆目わかないような人材も――
含まれるほうが都合はよいのです。
そんな人材によって――
まったく新しい仮説が生み出され、検証される可能性が高いからです。