マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

プロはアマに支えられている

 ――プロとアマとは互いに対立をするのではなく、補い合っている。

 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 ごく簡単にいってしまうと、

 ――アマはプロを目指し、プロはアマに支えられている。

 ということです。

 

 何事においても、そうであると思います。

 

 とくに、

 ――プロはアマに支えられている。

 ということが大切です。

 

 あることについて――

 アマチュア的な立場で関わっている人たちが大勢いるからこそ――

 そのことについてプロフェッショナル的な立場で関われる人たちが生じうるのです。

 

 例えば――

 野球についていえば――

 

 アマチュア的な立場で野球に関わっている人たちが大勢いるからこそ――

 野球が一つの大きな産業を作り出し――

 その産業の機構のなかで、プロフェッショナル的な立場が成り立ちえます。

 

 アマチュア的に野球を楽しむ人が劇的に減ったら――

 プロフェッショナル的に野球に関われる人は存在の余地を失うのです。

 

 端的にいえば――

 その人に支払われる給料の出所がなくなります。

 

 アマチュア的に野球を楽しむ人が、決して少なくはない金額を支払って野球を楽しんでいるからこそ――

 プロフェッショナル的に野球に関われる人が、自分の生活に困らないだけの金額を受け取れるのです。

 

 つまり、

 ――プロの高みはアマの裾野の広さで支えられている。

 といえます。

 

 よって――

 本物のプロは、アマを大切に扱います。

 

 アマに敬意を払い、アマから初心を学び、アマの期待に応えようとする――

 

 アマの関心が広がり、理解が深まることで――

 プロとして提供をしうるサービスの質が間接的に向上をしていくと、よくわかっているからです。

 

 アマを蔑み、アマを忘れ、アマから逃げているプロは――

 偽物のプロといってよいでしょう。