マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

できれば、“不存在の証明”は避けたいから――

 ――天文学者の多くはSETI(Search for Extra Terrestrial Intelligence)に興味をもっているようであるが、それに深く関わることには躊躇を覚えるようである。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 なぜ躊躇を覚えるのか――

 

 ……

 

 ……

 

 その理由は、

 ――できれば、“不存在の証明”は避けたいから――

 ではないかと、僕は感じています。

 

 少なくとも――

 僕が天文学者になっていたら、たぶん、そう思って躊躇をするであろう、と――

 

 ……

 

 ……

 

 SETIを自然科学的に真剣に突き詰めていったなら――

 究極的には、次の2つのうちのいずれかに落ち着きます。

 

 A)「地球外知的生命体はいない」と仮定をして何らかの矛盾を導き、「地球外知的生命体はいる」と証明をする。

 

 B)「地球外知的生命体はいる」と仮定をして何らかの矛盾を導き、「地球外知的生命体はいない」と証明をする。

 

 これらのうち――

 B)は、あきらかに、

 ――不存在の証明

 です。

 

 ――“不存在の証明”は、自然科学的には実施が不可能である。

 との見解もあります。

 

 が――

 厳密には、

 ――実施が不可能――

 ではなく、

 ――実施が困難――“存在の証明”と比べると、著しく困難――

 というにすぎません。

 

 ――存在の証明

 では、ただ、

 ――存在をする。

 と指摘をすればよいのに対し、

 ――不存在の証明

 では、

 ――「存在をする」とはいえない。

 という指摘を延々と繰り返していくしかない――

 

 ……

 

 ……

 

 天文学者としてSETIに深く関わるならば――

 この“不存在の証明”を避けて通ることはできません。

 

 もちろん、地球外知的生命体が発見をされれば、その瞬間、“不存在の証明”は不可能かつ不必要であることが明確にはなりますが――

 その瞬間までは、少なくとも可能性としては、“不存在の証明”を常に念頭に置いておかなくてはならない――

 

 それは――

 天文学者としては――あるいは、自然科学者としては――なかなかに重苦しい思考を強いられます。

 

(だから、天文学者の多くは、SETIに深く関わることに躊躇を覚えるのではないか)

 そう思います。