――この宇宙には、生命を司る原理は唯(ただ)一つしか存在をしていないのではないか。
という憶測を――
きのうの『道草日記』で述べました。
こう述べると、
――なぜ「唯一つ」といえるのか。
と訝る向きもあるでしょう。
その問いへの答えの一つは――
すでに、この『道草日記』で、しばしば言及をしています。
それは、6月27日の『道草日記』で触れた、
――オッカムの剃刀(Occam's razor)
の方針に依ります。
つまり、
――僕らが知っている生命は唯一つであり、それは唯一つの原理によって司られているようにみえる。
という経験的な直観に基づく答えです。
もちろん――
そうではないのかもしれません。
実際には、この宇宙に生命を司る原理は、幾つか存在をしているのかもしれません。
が――
僕らの知っている生命は――
きのうの『道草日記』で述べたように――
遺伝・合成・代謝の仕組みを、少なくとも根本的な次元では、共有をしているようにみえます。
よって――
僕らの知っている生命が相異なる複数の原理によって司られていると考えることは、ちょっと無理があるといわざるをえません。
無理がある以上――
そのような仮定は、もうけるべきではない――
それが、
――オッカムの剃刀
の発想です。
一方、
――オッカムの剃刀
に頼らない答えもあります。
それは、
――生命を司る原理は、例えば、燃焼を司る原理が、この宇宙において、唯一つしか存在をしていないと考えられるように、この宇宙において、唯一つしか存在をしていないはずである。
という答えです。
――この宇宙には、燃焼を司る原理が幾つか存在をしているのだが、僕らが知っている原理は、それらのうちの一つだけである。
と考えることは、ちょっと不自然にすぎるでしょう。