――僕らは、ただ一種の知的生命体しか知らない。
ということを、7月30日の『道草日記』で述べました。
が――
きのうの『道草日記』では、ヒト以外の動物にも、ヒトの精神とは異なる原理の司り精神やヒトの精神とは異なる素材の成す精神が備わっているかもしれない可能性を述べました。
要するに――
僕らが、
――知的生命体
というときの「知的」とは、
――ヒトらしい知性を備えている
くらいの意味なのです。
もし、
――知的
の意味を広くとるならば――
例えば、
――何らかの知性を備えている。
という意味でとるならば――
当然のことながら、
――僕らは、ただ一種の知的生命体しか知らない。
とはいえなくなります。
この地球上には、ヒト以外にも、数多くの“知的生命体”が存在をしていることになるからです。
この地球上に限ってみてさえ、知性の在り方は、かなり多様なのですから――
おそらく――
この宇宙の全体でみたら、知性の在り方は、さらに多様でしょう。
よって――
仮に、この宇宙のどこかに、地球外知的生命体が存在をしていたとしても――
彼らの精神は、僕らの精神とは全く異なる原理で司られていて、かつ全く異なる素材から成っている可能性があるのです。
もし、そうならば――
僕らは、彼らとコミュニケーションをとるに、かなり苦労をするでしょう。
――言葉の壁
といった支障が生易しく感じられるくらいに深刻な支障をきたすと考えられます。
その苦労は――
例えば、日本語を母語とするヒトが外国語を母語とするヒトとコミュニケーションをとるときの苦労の比ではありません。
ヒトがオランウータンやイルカとコミュニケーションをとるときの苦労に近いはずです。