マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

精神を司る原理や精神を成す素材は?

 ――地球外知的生命体の身体を司る原理や身体を成す素材は、僕ら地球上の知的生命体――つまり、ヒト――と殆ど同じであろう。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 では、

 ――地球外知的生命体の精神を司る原理や精神を成す素材

 については、どうでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 これについては――

 実は、

 (全く違っている可能性がある)

 と――

 僕は感じています。

 

 なぜならば――

 この地球上に生息をしているヒト以外の生命体の知性が、ヒトの知性とは全く違っているようにみえるからです。

 

 ……

 

 ……

 

 ――精神を司る原理や精神を成す素材

 について――

 まずは僕らヒトを例にとって考えてみましょう。

 

 ヒトの精神を司る原理として挙げられそうなのは――

 おそらくは、

 ――論理

 とか、

 ――直観

 とか、

 ――分析・総合

 とか、

 ――記憶・想起

 とか、

 ――注意・無視

 とかいったことでしょう。

 

 一方――

 ヒトの精神を成す素材として挙げられそうなのは、

 ――言葉・記号・数値

 とか、

 ――感覚・質感

 とか、

 ――気分・情動・欲求

 とかいったことでしょう。

 

 が――

 例えば、オランウータンやイルカなどの精神は、どうでしょうか。

 

 ヒトの精神と同じような原理や素材を挙げられるでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 もちろん、

 ――オランウータンやイルカに精神は存在をしない。

 という立場もあります。

 

 が――

 オランウータンやイルカに、ヒトの知覚や思考の真似事を覚えさせることは可能であるらしいことを考えれば――

 彼らに精神が存在をしないというのは、少なくとも公平な見方ではありません。

 

 とはいえ――

 彼らの知覚や思考が、ヒトと同じくらい効率的で正確性があるというわけではありません。

 

 所詮は“真似事”しかできないのです。

 

 このことをもって、

 ――オランウータンやイルカは、他の動物と比べれば高等な知性をもっているといえるが、ヒトと比べれば下等な知性しかもっていないといえる。

 との結論を導くことは容易ですが――

 

 そもそも――

 オランウータンやイルカがヒトと同じくらい効率的で正確性のある知覚や思考を行えないようにみえるのは――

 オランウータンやイルカの精神へ、ヒトの精神に固有の原理や素材を強引に移し替えようとした結果かもしれません。

 

 もし、オランウータンやイルカの精神に、ヒトの精神とは全く異なる原理や素材があって――

 それら原理や素材を、もし、ヒトの精神へ強引に移し替えることができるとしたら――

 ヒトの精神は、オランウータンやイルカの精神と同じようには働かないでしょう。

 

 そのとき――

 ヒトは、オランウータンやイルカから、

 ――下等な知性しかもっていない。

 と判断を下されるかもしれないのです。