――地球外知的生命体が我々とは全く異なる精神や身体をもっているかもしれない可能性
について考える際に、念頭に置くのがよいと思われるのは、次の4つの場合である――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
1)精神も身体も僕らと全く異なる
2)精神は僕らと全く異なるが、身体は僕らと殆ど同じである
3)精神は僕らと殆ど同じであるが、身体は僕らと全く異なる
4)精神も身体も僕らと殆ど同じである
つまり――
1)の可能性を考えるならば、2)3)4)の可能性も考えなければ、結論は歪みうる――
ということです。
ここでも威力を発しうるのは――
……
……
――オッカムの剃刀(Occam's razor)
です。
――オッカムの剃刀
については――
6月27日の『道草日記』で述べました。
――説明に必要でない仮定はもうけない。
という方針のことです。
この方針を先ほどの4つの場合に当てはめますと――
1)2)3)の可能性は全て削ぎ落とされるといってよいでしょう。
なぜならば――
僕らは、ただ一種の知的生命体しか知らないからです。
この宇宙に地球外知的生命体が幾種も存在をしているならば――
その精神も身体も、唯一、その存在が確かめられている知的生命体――つまり、現在、地球上に暮らしている僕ら自身――と殆ど同じである――
とみなすことが最も妥当な仮定です。
それ以外の仮定は、とくに必要とは思われない――その必要性の要請が明らかではないからです。
よって、
――オッカムの剃刀
を念頭におく限り、
――地球外知的生命体が我々とは全く異なる精神や身体をもっているかもしれない可能性
は、あっさり無視をされることになります。