――この宇宙では、地球上で生命が誕生をしたのと同じ頃に――つまり、今から 42 億~ 35 億年くらい前に――数多くの生命が誕生をしているかもしれない。
との憶測を、きのうの『道草日記』で述べました。
そして――
それら生命は、多少の遅速はあったにしても、ほぼ同じように進化を遂げていて――
現在――
この宇宙には、僕らと同じ程度に進化を遂げた知的生命体が無数に存在をしているのだけれども――
互いに甚だしく離れているがゆえに、互いの存在に気づけずにいるのではないか――
との憶測にも触れました。
このように考えていくと――
しだいに気になってくるのが、
――フェルミの逆説(Fermi paradox)
です。
――フェルミの逆説
については、6月6日の『道草日記』で触れました。
曰く、
――宇宙の寿命の長さと恒星の個数の膨大さとを考えたときに、我々以外にも知的生命体が存在をしていないはずはなさそうなのに、なぜ我々は彼らに出会えていないのか。
との疑問です。
この疑問への答えは――
大きく分けて次の3つが考えられます。
1)我々以外の知的生命体は既に地球に到達をしていて、我々に出会っているが、その事実を我々は知らない。
2)我々以外の知的生命体は存在をしているが、地球には到達をしていないために、我々には出会えていない。
3)我々以外の知的生命体は存在をしていないために、我々には出会いようがない。
……
……
冒頭のように、
――この宇宙では、地球上で生命が誕生をしたのと同じ頃に、数多くの生命が誕生をしている。
と考えるのであれば――
当然、“フェルミの逆説”への答えは、
2)我々以外の知的生命体は存在をしているが、地球には到達をしていないために、我々には出会えていない。
となります。
もちろん――
6月27日や6月28日の『道草日記』で述べたように、
――フェルミの逆説
に
――オッカムの剃刀(Occam's razor)
を用いれば、
3)我々以外の知的生命体は存在をしていないために、我々には出会いようがない。
の答え以外は削ぎ落されます。
とはいえ――
僕らが、これまでのところ、地球外知的生命体とは全く出会っていない、との経験的事実から、直ちに、
――この宇宙で、生命は、たった1回しか誕生をしていない。
との仮定を設けることの妥当性には、一考の余地があります。
少なくとも、
――この宇宙で、生命は、たった1回しか誕生をしていない。
との仮定よりは、
――少なくとも地球上では、生命は、たった1回しか誕生をしていない。
との仮定のほうが、いくらか穏当なのは、間違いありません。