マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

権威主義の国ならウソをつくしかない

 権威主義の体制に慣れ親しんでいる人たちは、

 ――政権の運営は“映画の撮影”である。

 と考えるために、“監督”がコロコロと変わりうる民主主義の体制は、

 ――映画が支離滅裂な作品に仕上がってしまう。

 という意味で、

 ――危険である。

 と感じる――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 権威主義の体制では――

 政権の運営のされ方が、とにかくわかりやすく伝えられる必要があります。

 

 それをわかりやすく伝えることで、「君(きみ)」という名の“制作者”は「民(たみ)」という名の“鑑賞者”を常に満ち足りた気持ちにさせておく必要があるのです。

 

 ――わかりやすさ

 を最優先とみなすがゆえに――

 その“制作者”は、しばしばウソをつきます。

 

 権威主義の体制に慣れ親しんでいる人たちは――

 政権の運営のされ方を民に伝える際に、虚言を弄するほうがわかりやすくなると判断をしたときには――

 迷わず、

 ――ウソをつく。

 のですが――

 その理由が、

 ――わかりやすさ

 です。

 

 万が一わかりやすく伝えることに失敗をしてしまうと――

 民は不満を感じ始め、その不満は徐々に高まっていき、ついには烈火の如く怒り出して――

 君の権威を根底からひっくり返そうとします。

 

 そのような過程を経ることによって――

 いわゆる市民革命が起こり、権威主義の体制は民主主義の体制に取って代わられました。

 

 そのことを――

 権威主義の体制に慣れ親しんでいる人たちは、よく知っています。

 

 よって、

 ――わかりやすさ

 に拘泥をするのです。

 

 今回のロシア政府によるウクライナ戦争では、

 ――ロシア政府は、たくさんのウソをついている。

 との報道がなされていますが――

 

 ロシアを権威主義の国とみなすのなら――

 そのことに何の疑問も生じません。

 

 (そりゃウソをつくしかないだろうな)

 と思います。

 

 それくらい――

 ロシア政府によるウクライナ戦争の決断は、わかりづらい、ということです。