マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

権威主義の何が善かったのか

 権威主義は、

 ――民を怠惰にしやすい。

 という点で、民主主義よりも悪い――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 このように述べると――

 まるで権威主義が絶対的な悪であるかのように感じられますが――

 そうではありません。

 

 ――民を怠惰にしやすい。

 という権威主義の評価は――

 太古の昔より普遍的に通用をしてきたわけではありません。

 

 ――民を怠惰にしやすい。

 というのは――

 むしろ――

 中世以前においては権威主義の善(よ)い点でした。

 

 もちろん、これを「善い点」として挙げるなら――

 言葉は十分に慎重に選ばなければなりません。

 

 ――怠惰にしやすい。

 は、

 ――鷹揚にしやすい。

 くらいに、いい換えるのが、無難でしょう。

 

 つまり――

 権威主義は、少なくとも中世以前においては、

 ――民を鷹揚にしやすい。

 という点で、民主主義よりも善かった――

 ということです。

 

 ちなみに――

 なぜ、

 ――権威主義が善かったのは中世以前であり、近代以後では悪くなった。

 といえるのでしょうか。

 

 その理由は――

 おそらくは、産業革命です。

 

 産業革命によって自由主義の経済が隆興をしたことで――

 近代以後、民の暮らしは、少なくとも中世以前と比べると、格段に豊かになりました。

 

 もちろん――

 その背景には、近代以後における科学や科学技術の急速な発展があります。

 

 このように自分たちの暮らしが豊かになった分――

 民は、より積極的に政(まつりごと)に関わることが可能になりました。

 

 中世以前は、日常生活を無事に送るのに精一杯で、政に関わる余裕などはなかったけれども――

 近代以後は、日常生活が割と簡単になったことで、政に関わる余裕が生まれた――

 ということです。

 

 民が日常生活の重荷で息も絶え絶えになっている状況では、民主主義の体制は生まれませんし、仮に生まれても、十分には機能をしません。

 

 そういう状況では、

 ――権威主義に限る。

 というのが、中世以前の民の総意であったと考えられます。

 

 そして――

 このことは、21世紀序盤の現在においても、少なくとも部分的には当てはまっているようです。

 

 民が日常生活の重荷で息も絶え絶えになっているような発展途上国で、権威主義の体制が、より安定的に存立をしていることは――

 おそらく偶然ではありません。