今回のロシア政府によるウクライナ戦争の報道に触れて――
あらためて、
(いったん戦争が始まると、人は、ここまで冷酷になれるのか)
ということを痛切に感じました。
もちろん――
これまでにも、近現代史の戦記の類いに目を通すことで――
戦場での人の残虐な振る舞いなどについては、ある程度は知っていたつもりですが――
報道や戦記から知りうる範囲というのは、しょせんは、ごく表層であって――
現地で戦争の体験を実際にしている人たちに比べれば、その範囲は無視ができるくらいに浅く――
また、そうした人たちの戦争に対する知識や理解や洞察に比べれば、報道や戦記のみから得られる知識や理解や洞察というのは、ほとんど滑稽なくらいに薄っぺらいのです。
人は、戦場や戦場の周辺では、どんどん残酷になって――
その残酷性には限界がなく、どこまでも過剰になっていき――
その残酷な振る舞いの内実は、たいていは平和な地で暮らし平時の人々の想像力を遥かに超えている――
……
……
(そんな戦争を、人は、なぜ始めてしまうのか)
と、いうことが不思議でなりません。
人をどこまでも残酷に振る舞わせてしまう戦争を――
なぜ人は起こすことができるのか――
……
……
おそらく、
――戦争をよく知らないから――
なのでしょうね。
あるいは、
――自分では戦争をよく知っているつもりでも、実際には、そんなによくは知らないから――
あるいは、
――自分では戦争をよく知っているつもりなので、それ以上には敢えて戦争のことを知ろうとは思わないから――
……
……
国家の最高指導者が、
――戦争とは、こんなもの――
とか、
――私は戦争をよく知っている。
とかと過信をするときに――
戦争は――
その最高指導者の手によって始められやすいのです、おそらく――