1990年代に冷戦が終わった頃――
少なくとも主要7か国(Group of Seven, G7)に住んでいた人々の多くは、当時、
――市民革命の産物である“権威主義からの脱却”を受け入れることなく、産業革命の産物である“自由主義による経済”を取り込むことは不可能である。
と信じていた――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
そのように何となく信じていたという点については――
G7 以外に住んでいた人々にとっても、ある程度は同じではなかったか、と――
僕は想像をしています。
少なくとも、
――市民革命の産物である“権威主義からの脱却”を受け入れることなく、産業革命の産物である“自由主義による経済”を取り込むことは、完全に不可能というわけではないにせよ、それなりの困難を伴うであろう。
と感じていたのではないか、と――
……
……
それにもかかわらず――
少なくともロシアや中国の人々は、
――市民革命の産物である“権威主義からの脱却”を受け入れることなく、産業革命の産物である“自由主義による経済”を取り込んでみよう。
と考えたに違いないのです。
それは一種の賭けであったといえます。
……
……
ロシアや中国の人々は、なぜ賭けに出たのか――
つまり――
なぜ“権威主義からの脱却”に踏み切らなかったのか――
ふつうに考えれば、“自由主義による経済”の恩恵を受けるには、“権威主義からの脱却”を図るほうが、遥かに効果的と感じられたはずです――
何しろ、G7 という成功例が当時も既に知られていましたので――
とりわけ――
日本は、第二次世界大戦後、“権威主義からの脱却”に踏み切ることで、“自由主義による経済”の恩恵を受けることができた事例の典型でした。
が――
ロシアや中国は、その道を選ばなかった――
ロシアは、いったん選びかけたようですが――
すぐに、やめてしまった――
中国は、最初から選ぼうともしなかった――
なぜか――
……
……
おそらく、
――“権威主義からの脱却”は危険である。
と考えたからです。
その、
――危険
の真意には、もちろん、
――現在、政権を握っている我々の生命と財産とが危ない。
という意味も含まれていたでしょうが――
それだけでは、あまりにも利己的な判断です。
もし、当時、政権を握っていた人たちが――
そういう観点からの判断だけで“権威主義からの脱却”を見送っていれば――
その後ほどなくして、暴力的な政変が生じ、“権威主義からの脱却”が必然的に起こっていたでしょう。
つまり――
当時、政権を握っていなかった人たちにとっても、
――“権威主義からの脱却”は、たしかに危ない。
と思わせる理由が、何かあったに違いないのです。
その理由とは何か――
……
……
おそらく、
――民主主義の制御不能性
です。
この続きは、あす――