――市民革命は産業革命が起こるのに必要であった。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
もちろん――
この命題の真偽はわかりません。
17世紀中盤にイギリスで市民革命が起こり始め――
同じイギリスで18世紀に産業革命が起こり始めた――
この歴史の流れから、
市民革命 ⇒ 産業革命
の図式の成り立つことが何となく推し量られます。
が、
――本当に、そうか。
と問われたら――
――よくわからない。
と答えざるをえません。
市民革命 ⇒ 産業革命
の図式が誰の目にも明らかに成り立つ――
とは到底いえません。
とはいえ――
この図式が真であろうと偽であろうと――
市民革命の産物である“権威主義からの脱却”を受け入れることなく、産業革命の産物である“自由主義による経済”を取り込むことは、どうやら可能であったらしい――
との点は絶対に見逃せません。
1990年代に冷戦が終わった頃――
少なくとも主要7か国(Group of Seven, G7)に住んでいた人々の多くは、
――市民革命の産物である“権威主義からの脱却”を受け入れることなく、産業革命の産物である“自由主義による経済”を取り込むことは不可能である。
と信じていたように思います。
少なくとも僕は――
そう信じていました。
――たとえ、権威主義の体制の下で、市民革命の産物である“権威主義からの脱却”を受け入れることなく、産業革命の産物である“自由主義による経済”を取り込もうと試みても、その権威主義の体制は必ずや崩壊をし、民主主義の体制に移行をするに違いない。
と――
実際には――
そういうことはありませんでした。
市民革命の産物を拒んでも産業革命の産物を享けることはできた――
反例の典型は、中国です。
ロシアも――
その反例の一つに数えてよいでしょう。