マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人の文明が果てしなく続くために――

 人工知能のことは――

 正直にいいますと――

 とくに興味はありませんでした。

 

 もちろん――

 時代の潮流に乗っている科学技術ですから、通り一遍の興味はもっていましたが――

 あえて『道草日記』で話題に持ち出そうと思えるほどの興味はありませんでした。

 

 が、

 (最低限のことは理解しておこう)

 と思って入門書の類いを何冊か読んでいるうちに――

 

 (これは、ひょっとすると、近い将来、大変なことになるかもしれないぞ)

 と思うようになりました。

 

 ――近い将来

 というのは、

 ――22世紀くらいから23世紀くらいまで――

 です。

 

 ――22世紀

 といえば――

 1970年代生まれの僕にとっては、これといった縁がない未来ですが――

 気が遠くなるほどに縁遠い未来というわけではありません。

 

 例えば――

 今 10 歳くらいの人たちの多くは、22世紀の息吹を肌で感じるはずです――

 そう、ちょうど僕らが20世紀の終わり頃に21世紀の息吹を肌で感じていたように――

 

人工知能の問題は、今 10 歳くらいの人たちにとっての抜き差しならない問題になるのかもしれない)

 

 そんなふうに思うと――

 俄然、人工知能のことに興味が湧き始めたのです。

 

 人工知能の問題は――もし、本当に問題があるのだとしたら――具体的に、どんなことが問題になるのか――その問題は人によって解決がされうる問題なのか――もし、解決がされうるのだとしたら、どのように解決がされうるのか――

 

 僕は――

 きのうまでの『道草日記』で述べたように――

 人工知能の問題は、

 ――愚かでも賢くもない

 という性質――

 つまり、

 ――中庸

 がカギを握っていると考えています。

 

 その内実は、

 ――利益と損害とが打ち消し合ってプラスマイナス・ゼロになるように振る舞う。

 という性質です。

 

 そのような性質を人工知能に備えさせることができれば――

 人工知能の問題は解決をみるかもしれない――

 

 おそらく――

 人工知能は――

 人に利益をもたらす道具ではないのです。

 

 強いていえば――

 人に損害をもたらさないようにする道具――

 

 人の文明が、未来永劫、果てしなく続くための道具――

 

 そのような道具になるためには――

 人工知能に、

 ――中庸の実装

 を施す必要がある――

 そのように僕は考えています。