マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「自分で考える」とは?

 ――自分の好きなこと

 を、

 ――自分がやりたいこと

 と、みなすのには――

 そんなに深く考える必要はないけれども――

 ――自分の好きなこと

 ではないことを、

 ――自分がやりたいこと

 と、みなすのには――

 十分に深く考える必要がある――

 と、きのう、のべました。

 

 このようにいわれると、

 ――「考える」って、そもそも、どういうこと?

 と疑問(ぎもん)に思う人もいるでしょう。

 

 その人は、するどい――

 

 その疑問は、かなり的を射(い)ていると思います。

 

 実は――

 10 才のころは、そうでもないのですが――

 

 10 代も後半になると――

 年上の人たちに、よく次のように注意をされるようになるのです。

 ――自分の頭で考えなさい。

 

 その注意の意味は、

 ――他の人が考えたことを正しいと信じ切ってしまわないで、必ず自分でも考えるようにしなさい。

 ということです。

 

 例えば、

 ――看護(かんご)の仕事は、“自分の好きなこと”ではないけれども、自分の親から「あなたには看護師(かんごし)が向いていると思う」といわれたから、あえて看護の仕事を“自分のやりたいこと”と、みなすことにする。

 というのは、

 ――他の人が考えたことを正しいと信じ切ってしまう。

 ということです。

 ここでいう「他の人」は「自分の親」ですね。

 

 また、

 ――看護の仕事は、“自分の好きなこと”ではないけれども、私は人の役に立っていることがわかりやすい仕事をしたいので、あえて看護の仕事を“自分のやりたいこと”と、みなすことにする。

 というのは、

 ――自分で考える。

 ということです。

 

 このときに、

 ――他の人が考えたことを信じ切ってしまう。

 というのが、どういうことかは――

 みなさん、だいたいはわかるのですが――

 

 ――自分で考える。

 というのが、どういうことかは――

 何となくでしかわからない人が、ほとんどなのです。

 

 だから、

 ――「考える」って、そもそも、どういうこと?

 という疑問には高い価値(かち)がある――

 と、いえます。

 

 ……

 

 ……

 

 続きは、あす――

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』