マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「考える」とは「言葉を並べていく」ということ

 ――「考える」って、そもそも、どういうこと?

 という疑問(ぎもん)には高い価値(かち)がある――

 と、きのう、のべました。

 

 なぜ高い価値があるのかというと――

 この疑問への答えを知っていると、

 ――自分で考える。

 というのが、どういうことなのか――

 手に取るように、わかるからです。

 

 ……

 

 ……

 

 ――考える

 とは、どういうことでしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 ぼくは、次のように説明をしています。

 

 ――「考える」とは、いくつかの文を意味が通じやすいように心の中で並(なら)べていくことである。

 

 ……

 

 ……

 

 ――文

 というのは、ふつうは、いくつかの、

 ――言葉

 からできています。

 

 だから――

 結局のところ、

 ――考える

 というのは、

 ――いくつもの言葉を意味が通じやすいように心の中で並べていく。

 ということなのです。

 

 もっと簡単(かんたん)にいってしまえば、

 ――言葉を並べていく。

 ということです。

 

 よって、

 ――自分で考える。

 というのは、

 ――自分で言葉を並べていく。

 ということです。

 

 反対に、

 ――自分では考えない。

 というのは、

 ――だれか他の人が並べた言葉をそのまま受け入れる。

 ということです。

 

 ――言葉を並べていく

 ということが、

 ――考える

 ということですから――

 当然のことながら――

 言葉を少ししか知らないよりは、たくさん知っているほうが、考えやすくなり――

 その分、より深く考えられるようになり、より広く考えられるようになります。

 

 また――

 それぞれの言葉の意味を正しく知っていれば――

 あなたの考えは、ほかの人たちから理解(りかい)をされやすくなります。

 

 ここでいう、

 ――言葉の意味を正しく知る。

 というのは、

 ――ほかの人たちと同じような意味で言葉を使う。

 という意味です。

 

 ほかの人たちと違(ちが)う意味で言葉を使っていれば、

 ――言葉の意味を正しく知っている。

 とはいえません。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』