マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

戦争をさけるには

 ――戦争

 は、

 ――自分や自分たちの幸せだけを追い求める。

 という、まちがいをするところから始まってしまう――

 と、5月9日に、のべました。

 

 戦争をさけるには――

 自分や自分たちの幸せだけでなく、相手の幸せも追い求めて、自分や自分たちの不幸せを受け入れてガマンをする必要がある――

 と――

 

 そして――

 それは、ものすごく難(むずか)しいことである、と――

 

 ……

 

 ……

 

 ここでいう、

 ――自分や自分たちの不幸せを受け入れる。

 とは、どういうことでしょうか。

 

 あるいは、

 ――受け入れてもよい不幸せ

 とは、どのような不幸せでしょうか。

 

 ――戦争をさけるには、どうしたらよいか。

 という話では――

 この「受け入れてもよい不幸せ」の中身をはっきりさせておく必要があります。

 

 そうでないと――

 元も子もない話になってしまうからです。

 

 例えば、

 ――私は戦争は仕方がないと思っている。戦争は“受け入れてもよい不幸せ”の一つである。

 という話になってしまう――

 

 ……

 

 ……

 

 ――戦争の不幸せ

 と、

 ――受け入れてもよい不幸せ

 との違(ちが)いは何でしょうか。

 

 ……

 

 ……

 

 ぼくは、

 ――だれかの命が失われるかどうかの違い

 であると考えています。

 

 ――戦争の不幸せ

 では、だれかの命が永遠(えいえん)に失われます。

 

 それも、数多く失われます。

 

 ――戦争

 は、

 ――殺(ころ)しあい

 であるからです。

 

 よって、

 ――戦争

 は、

 ――受け入れてはいけない不幸せ

 といえます。

 

 一方――

 だれかの命が失われるわけでないのなら――

 それは、

 ――受け入れてもよい不幸せ

 といえます。

 

 例えば、

 ――おカネのことで損(そん)をする。

 とか、

 ――ほかの人たちからバカにされる。

 とか――

 

 ……

 

 ……

 

 ――受け入れてはいけない不幸せ

 と、

 ――受け入れてもよい不幸せ

 との区別は、とても大切です。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』