マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

親孝行、したいときには親は亡い

 ――人は、自分の親を大切にあつかうことを通して、人を大切にあつかうことを学ぶものである。

 と、きのう、のべました。

 

 つまり――

 世の中の大人たちが、子どもに向かって、

 ――親孝行(おやこうこう)をしなさい。

 というのは、

 ――人を大切にあつかえるようになりなさい。

 という意味であって、

 ――われわれ年長者を敬(うやま)いなさい。

 という意味ではないのですね。

 

 このことがわかるのに――

 ぼくは、ずいぶん年月を必要としました。

 

 10 才くらいのときは――

 まったく、わかっていませんでした。

 

 20 才くらいのときも――

 おおいに、あやしい――たぶん、まだ、よくわかっていませんでした。

 

 30 才くらいになってからでしょうかね――どうにか、わかるようになってきたのは――

 

 が――

 ただ 30 才くらいになっただけで、わかった――

 ということではありません。

 

 ……

 

 ……

 

 実は――

 

 ぼくが、

 ――親孝行をしなさい。

 という言葉の本当の意味に気づいたのは――

 父が亡(な)くなってからでした。

 

 父は――

 ぼくが 28 才のときに亡くなっています。

 

 父が亡くなってから 2 年くらいして――

 

 少なくとも父に対しては――

 もう二度と親孝行はできないということを思い知ってから 2 年くらいして――

 

 ぼくは、

 ――親孝行をしなさい。

 という言葉の本当の意味に気がつきました。

 

 よく、

 ――親孝行、したいときには親は亡い。

 といいますね。

 

 ――親孝行は、親が亡くなってから、したくなるものであるが、そうなってからでは遅(おそ)いので、まだ親が元気なうちから、親孝行をするのがよい。

 という意味で理解(りかい)をしている人が多いと思いますが――

 

 ぼくは――

 そのようには理解をしておりません。

 

 ――人は、自分の親が亡くなると、ますます人を大切にあつかうことの大切さを思い知るようになる。

 という意味で理解をしています。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』