マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ある意味で、おそろしい――「親孝行をしなさい」という理由

 世の中の大人たちが、

 ――親孝行(おやこうこう)をしなさい。

 と子どもに向かっていう理由は、

 ――子どもは、十分に意識(いしき)をさせないと、なかなか親孝行をしようとしないから――

 という理由のほかにも、ある――

 と、きのう、のべました。

 

 その理由というのは、

 ――人は、自分の親を大切にあつかうことを通して、人を大切にあつかうことを学ぶから――

 ということです。

 

 ヒトという生き物は――

 おおまかな傾向(けいこう)として――

 親は子どもを“特別な人”とみなし、子どもは親を“特別な人”とはみなさない――

 と、おととい、のべました。

 

 子どもは、自分の親を、

 ――特別な人

 とはみなさないのですね。

 

 少なくとも――

 親が、自分の子どもを、

 ――特別な人

 とみなすようには、みなさない――

 

 つまり――

 子どもにとって、自分の親というのは、ほとんどの場合に、

 ――この世の中で生きている全ての人たちの中で、もっとも親しい人

 ではあるでしょうが――

 でも――

 それは、あくまでも、

 ――ふつうの人たちの中の一人

 であって、

 ――特別な人

 ではないのです。

 

 よって――

 子どもは――

 自分の親をどのようにあつかうかによって――

 この世の中で生きている全ての人たちを、自分が、どのようにあつかおうとしているかを――

 無意識(むいしき)のうちに伝えてしまっている――

 といえるのです。

 

 これは、ある意味で、おそろしいことです。

 

 自分では、友だちや知りあいのことを大切にあつかっているつもりでも――

 もし、自分の親を大切にあつかっていなければ、

 ――あの人は、本当は、人を大切にあつかわない人だ。

 と決めつけられてしまうかもしれないのですから――

 

 ……

 

 ……

 

 その“おろそしさ”をよくわかっている大人が、子どもに向かって、

 ――親孝行をしなさい。

 というのです。

 

 おそらく――

 自分は、うっかり親孝行をしなかったばっかりに、

 ――あの人は、本当は、人を大切にあつかわない人だ。

 といわれたことが、あるのです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』