マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人の気持ちをテーマに自分の物語が作れるようになっても――

 人の気持ちをテーマに自分の物語が作れるようになれば――

 あなたは、人の気持ちの扱(あつか)い方を、もう、かなりの部分、学び終えている――

 と、きのう、のべました。

 

 ――かなり部分――

 と、のべました。

 

 つまり、

 ――全部ではない。

 ということです。

 

 人の気持ちをテーマに自分の物語が作れるようになっても――

 人の気持ちの扱い方がをすっかり学び終えている、というわけではないのです。

 

 例えば――

 人の気持ちをテーマにして、すばらしい小説を書く作家さんがいたとして――

 その作家さんが、自分の日常生活の中でも、まわりの人たちの気持ちを正しく汲(く)みとって、上手に振(ふ)るまっている、とはかぎらない――

 ということです。

 

 むしろ、

 ――あんなに人の気持ちを細やかに書き表せるのに、なんで、こんなに人の気持ちを汲みとれない人なんだろう?

 と、みんなから不思議に思われていた作家さんが実際(じっさい)にいたくらいだそうで――

 

 ……

 

 ……

 

 人の気持ちの扱い方というのは、とても学びとるのが難(むずか)しいのですね。

 

 ……

 

 ……

 

 そんな、

 ――人の気持ちを細やかに書き表せるのに、人の気持ちを汲みとれない人

 である作家さんは――

 何が足らないのかというと――

 

 それは――

 実際に人の気持ちを扱う経験(けいけん)です。

 

 人の気持ちをテーマに、すばらしい小説を書くくらいですから――

 人の気持ちの扱い方は、よくわかっている――

 

 が――

 実際に人の気持ちを扱う経験が足らないから――

 ちゃんと正しく人の気持ちを汲みとって、上手に振るまうことができない――

 

 喩(たと)えるならば――

 スポーツをテーマに、すばらしい小説は書けるけれども――

 実際にスポーツで、すばらしいプレーをみせることはできない――

 

 そういうことです。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』