いわゆる学校というところは、
――光――言葉の意味
を教えることに、ものすごく力を入れているために――
そういうところに、なじめそうな人なら、
――光――言葉の意味
の扱(あつか)い方がわからなくなる――
ということは、まず起こりそうにはないけれど――
――音――人の気持ち
や、
――風――数や形に関わる情報(じょうほう)
の扱い方がわからなくなるということは――
大いにありうる――
と、きのう、のべました。
学校というところは、
――音――人の気持ち
や、
――風――数や形に関わる情報
を教えることには――
それほど力を入れていないからです。
これは――
学校の先生たちが悪いということでは決してありません。
学校の仕組みを考えれば――
仕方がないことなのです。
学校では、だいたい、
――ひと学級 30 人くらい
で教わりますよね。
先生 1 人当たり児童・生徒 30 人くらいです。
1 対 30 くらいの関係では、
――音――人の気持ち
や、
――風――数や形に関わる情報
の扱い方を十分に教わることはできません。
――光――言葉の意味
と違(ちが)って――
――音――人の気持ち
も、
――風――数や形に関わる情報
も――
その扱い方を学びとれる速さは、人によってマチマチであるからです。
これらの扱い方を深いところまでしっかりと学びとるには――
それぞれの学びとりの速さに応じた教わり方が欠かせないのですが――
1 対 30 ではムリです。
せめて、1 対 3 くらいでないと――
……
……
1 対 30 では――
ほんの表面的なところを教わるのが精一杯(せいいっぱい)なのです。
よって、
――音――人の気持ち
や、
――風――数や形に関わる情報
をちゃんと学ぼうと思ったら――
どうしても学校の外で教わることを考えないわけにはいきません。
『10 歳の頃の貴方へ――』