マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

政治の“殺し合い”から国家間の殺し合いへ

 ――政治の“殺し合い”

 は、しばしば、

 ――国家間の殺し合い

 と化す。

 

 ――政治の“殺し合い”

 の「殺し合い」とは、

 ――政治生命の遣り取り

 を含む。

 普通は、

 ――命の遣り取り

 は含まぬ。

 

 が、

 ――国家間の殺し合い

 の「殺し合い」とは、

 ――命の遣り取り

 を指す。

 

 何万、何十万という人たちの間での、

 ――命の遣り取り

 を指す。

 

 ――政治の“殺し合い”

 に熱心な者は――

 それが、

 ――国家間の殺し合い

 と化す危険性を――

 しばしば低く見積もり過ぎる。

 

 その結果、

 ――国家間の殺し合い

 を招く。

 

 2022年のロシア政府によるウクライナ侵略が――

 そうであった。

 

 当初――

 ロシア政府の最高指導者は、ウクライナ政府の最高指導者の政治生命を奪いに行った、と――

 いわれている。

 

 ――簡単に奪える。

 と判断をしたらしい。

 

 ウクライナ政府の最高指導者は――

 喜劇役者の出身である。

 

 ――武力行使に出れば、逃げ出すに違いない。

 との読みがあったのだろう。

 

 政治家が逃げ出せば――

 政治生命は断たれる。

 

 逃げ出させてしまえば――

 政治生命は奪える。

 

 実際には違った。

 

 ウクライナ政府の最高指導者は――

 悲劇役者さながらの悲壮感を醸し出し――

 政庁の中枢に留(とど)まった。

 

 情報通信を用いた演出は巧であった。

 

 多くのウクライナ人たちが勇気を奮い立たせ、闘志を抱いた。

 

 そして、

 ――国家間の殺し合い

 が始まった。

 

 ――政治の“殺し合い”

 を、

 ――国家間の殺し合い

 に化けさせた責任の一端が――

 ロシア政府の最高指導使者にあることは確かだ。

 

 が――

 もう一端は――

 ウクライナ政府の最高指導者にもあった。

 

 彼は殺し合いから逃げなかった。

 

 逃げずに戦った。

 

 その姿勢は、組織の指導者としては、責任感に溢れている。

 

 が――

 政治家としては、どうか。

 

 少なくとも、

 ――旧態依然の平凡

 とはいえた。

 

 『随に――』