マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ほぼ一つの草原として――

 ――ロシアとは、“草原の帝国”モンゴルの後継国である。

 という命題を受け止めるには――

 ロシア平原とモンゴル高原とが、ほぼ一つの草原として、繋がっていることを知る必要があろう。

 

 ――ロシア平原

 とは――

 今日のエストニアラトビアリトアニアベラルーシウクライナ、ロシアなどに跨(またが)る広くて平らな土地を指す。

 

 普通は、

 ――東ヨーロッパ平原

 と呼ばれる。

 

 ――モンゴル高原

 とは――

 今日のモンゴルにロシアの極東南部の一部や中国の内モンゴル自治区を合わせた土地を指す。

 

 標高の 1,000 メートルほどの平らな土地を指す。

 

 これら2つの土地が、ほぼ一つの草原として、繋がっている。

 

 ――草原として、繋がっている――

 ということは、

 ――馬に乗れば、行き来できる――

 ということである。

 馬に草を食ませ続けることで長距離移動が可能となる。

 

 このため――

 モンゴル高原遊牧民たちは、太古の昔より、ロシア平原の存在をかなり身近なものとして知っていた――

 と、いわれる。

 

 また――

 ロシア平原の遊牧民たちも、遥か東方に広がるモンゴル高原の存在に対し、憧憬の念を馳せていた――

 と、いわれる。

 

 ただし――

 両者の関係は「完全に対称」というわけではなかった。

 

 モンゴル高原遊牧民たちのロシア平原を欲する思いのほうが、その逆よりは強かったと考えられる。

 

 その理由は――

 直接的には、馬の装備や長距離移動の技術の問題であったろうが――

 間接的には、気候の問題であったに違いない。

 

 ロシア平原よりもモンゴル高原のほうが、より寒冷で過酷な気候である。

 

 より温暖で快適な気候を求めて――

 モンゴル高原遊牧民たちは、馬の装備を調え、長距離移動の技術を磨いたに違いない。

 

 『随に――』