マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人魂を診るかのように――

 医者は精神を――

 あたかも人魂(ひとだま)を診るかのように――

 診る――

 と、いえる。

 

 対象が“人魂”であるから――

 当然ながら――

 身体を診るようには――

 診れぬ。

 

 聴診器も画像検査も役には立たぬ。

 

 ひたすら、

 ――発言

 や、

 ――行動

 を診る。

 

 人魂の、

 ――発光

 や、

 ――浮遊

 を診るかのように――

 

 ……

 

 ……

 

 

 その営みは――

 心許ない。

 

 科学技術の恩恵に――

 全くといってよいほどに浴していない。

 

 身体を診る営みは違う。

 

 例えば、磁気共鳴画像(Magnetic Resonance Imaging, MRI)の技術は、身体を診る際に頻繁に用いられるが――

 この技術は、現代物理学や高等数学の賜物である。

 

 科学技術の恩恵に存分に浴している。

 

 身体を診る時――

 医者は、自身が21世紀の現代社会に一員であることに、まったく疑いを挟まぬ。

 

 精神を診る時は――

 そうはいかぬ。

 

 自身が、

 ――21世紀はおろか、19世紀や18世紀の社会の一員でさえ、ないのではないか。

 と怪しむ。

 

 ――紀元前の医者と何が違うのか。

 と――

 

 ……

 

 ……

 

 無理もない。

 

 何しろ、“人魂”を診ている。

 

 ――夜などに宙を舞う炎

 を診る方法は――

 紀元前も21世紀も同じだ。

 

 21世紀になって、できるようになったことといえば――

 画像や動画に収めること――

 くらいではあるまいか。

 

 ――人魂

 が、実際に、

 ――夜などに宙を舞う炎

 であれば――

 画像や動画に収めるのは造作もない。

 

 が――

 

 収めたところで――

 何かが凄く診えるようになるわけではない。

 

 『随に――』