大人の男女交際が始まったばかりというのは――
何ともいえないギコチナさが漂っている。
大人だから、面白いのだ。
これが、中学生などであったりしたら、実に大変である。
傍(はた)でみているほうこそ、疲れてしまう。
大人が男女交際を始めるときは――
どちらも、たいてい初めてではない。
少なくとも2~3回――場合によっては12~3回くらいは――別れた経験があったりする。
そうした数々の失敗に裏打ちされた余裕みたいなものが――
傍でみているほうをも、安心させる。
もちろん――
「傍でみているほう」だからこそ、安心できるのであって――
当人たちは、そうではありえまい。
少なくとも、「安心」どころではないはずだ。
例えば――
電車や喫茶店の中などで、男女の会話に聞き耳を立ててみる――
交際を始めたばかりと思しき男女の会話というのは、実に、あちこちに話題が飛んでいく。
(え。いきなり、そっち?)
とか、
(その前に、さっきの突っ込み、返してあげようよ!)
とか、
(そこは流しちゃだめでしょ!)
とか――
ちょっときいただけでは、澱みなく流れているのだが――
注意深くきいていると、微笑ましいくらいに、ギコチナい。
その中途半端なギコチナさが、独特の味わいを出している。
(まあ、頑張ってくれよ……)
と、苦笑混じりのエールを送りたくなる。
大人の体の内奥に、少年少女が同居する。
大人の心に少年少女が入り乱れ――
入れ代わり、立ち代わり――
前景に現れ、背後に隠れ――
背後に隠れては、前景に現れる――
それは――
男女の機微の一つの極致に違いない。