マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

正義と正論と

 僕は、

 ――正義

 は嫌いなのですが、

 ――正論

 は好きです。

 ここでいう「正義」や「正論」は何かというと――
 正義は標語で、正論は見解です。

 標語は、不特定多数の人々に向かって、少なからず顕示的に表明するものです。
 よって、正義には、ある種の強制力ないし拘束力が感じられます。

 例えば――
 もし、誰かが、ひと度、

 ――これが正義だ!

 といってしまったら――
 その人は、もう引っ込みがつかなくなる――

 これに対し――
 見解は、自分の知識や理解や信念などに基づき、個人的に表明するものです。

 よって――
 正論の場合、それを受け入れるか受け入れないかは、やはり個人の判断なのです。

 実際――
 正論は往々にして無視されます。

 ときに公然と無視される――

 それでも、そんなに問題にはなりません。

 正論が無視されると、事態は、ときに暗転しますが――
 むしろ、好転することもある――

 正論とは、そうしたものです。

 正論の良さは、強制力や拘束力を感じさせないところにあります。