マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

日清戦争に歴史的な意義を持たせすぎると

 明治維新後の大日本帝国が――
 自衛の大義を掲げ、結果的に朝鮮半島から中国大陸、東南アジアへと侵略を試みた経緯は――
 歴史が伝えるところです。

 この一連の経緯の発端となった歴史的事象をどこに見出すか――
 今日、様々な見解が示されているそうですが――

 おそらく――
 もっとも常識的な見解は、

 ――日清戦争

 です。

 この戦争で――
 大日本帝国は、清朝・中国に勝利を収め――
 朝鮮半島における軍事上ひいては政治上の主導権を握ります。
 
 もちろん――
 後年の日露戦争満州事変などの歴史的事象がもたらした影響力は、とうてい無視しえませんが――

 もし――
 日清戦争が起こっていなければ――
 あるいは――
 起こっていても、大日本帝国が敗戦していれば――

 日露戦争は起こりえず――
 満州事変も起こりえなかったに違いありません。

 よって――
 発端としての絶対的な影響力という意味では――
 日清戦争に比肩しうる歴史的事象は、他に見当たらない――
 といってよいでしょう。

 が――

 この見解に――
 僕は、最近、違和感を覚えています。

 ここ3年くらいのことです。

 違和感の土台は、

 ――この国の政権が、朝鮮半島をめぐって、中国の政権に戦いを挑んだのは、日清戦争が初めてではない。

 という点です。

 安土桃山時代(16世紀)には、豊臣政権による朝鮮出兵がありました。
 飛鳥時代(7世紀)には、ヤマト政権の百済救済がありました。

 いずれの場合にも――
 この国は、最終的には撤兵に追い込まれ――
 朝鮮半島での軍事・政治上の主導権を握るには至りませんでした。

 が――
 もし、撤兵に追い込まれていなかったら――

 すなわち――
 豊臣政権が、朝鮮半島を恒久的に制圧していたり――
 ヤマト政権が、百済救済を成し遂げていたりすれば――

 その後の経緯は――
 大日本帝国が20世紀に辿った経緯と、ほぼ同じであったでしょう。

 そうはならなかったのは――
 おそらくは、軍事に関わる科学技術のレベルの問題です。

 7世紀や16世紀の科学技術では――
 この国の政権が朝鮮半島で戦略的勝利を収め、かつ、その後も一定の軍事的影響力を行使することは不可能であったが――
 20世紀の科学技術では、それが可能であった――
 ということに過ぎない――
 ということです。

 何がいいたのかといいますと――

 この国は――
 少なくとも7世紀の頃から――
 朝鮮半島における軍事・政治上の主導権を狙う素地があった――
 ということなのですね。

 その主な大義は、おそらくは、

 ――自衛

 です。

 少なくとも――
 7世紀のヤマト政権が百済救済を試みたのは――
 朝鮮半島にヤマト政権寄りの勢力を残すことで、九州地方の橋頭保となることを期待してのことだ、と――
 考えることができます。

 また――
 16世紀の豊臣政権が朝鮮出兵を試みたのも――
 おそらくは、当時、大航海時代を迎えていた西欧列強の軍事的圧力を過敏に察知してのことだ、と――
 考えることはできます。

 ――中国大陸や朝鮮半島が西欧列強の植民地となれば、この国の自衛は危うい。その前に、朝鮮半島や中国大陸に進出し、強力な橋頭保を築いておこうではないか。

 そのように――
 豊臣政権の幹部らは考えたのではないでしょうか――そのような史実を示す文献が残っているかどうかは、わかりませんが――

 ……

 ……

 たしかに――

 明治維新後の大日本帝国が――
 自衛の大義を掲げ、結果的に朝鮮半島から中国大陸、東南アジアへと侵略を試みた経緯の発端は――
 直接的には、日清戦争であったかもしれません。

 が――
 日清戦争は――
 おそらく歴史の表層の契機でしかありません。

 この国の7世紀からの朝鮮半島にまつわる軍事・外交方針は――
 実は、驚くほどに変わっていないのではないか、と――
 僕は感じます。

 日清戦争に歴史的な意味を持たせすぎると――
 何か大きなことを見落とすような気がしてなりません。