マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「科学は単純だ」は誤解

 ――自然科学の良いところは、議論が単純なところだ。

 といわれることがあります。

 あたらずとも遠からずなのですが――
 たいていの場合は、そこに誤解が含まれています。

 自然科学が扱うのは自然現象です。
 自然現象は、つねに高度に複雑です。

 そうした厄介な対象から、数値や記号を抽象し、それを議論の俎上にのせ――
 なおかつ、そうした数値や記号が織り成す議論を、あえて単純に提示してみせることで、

 ――科学は単純だ。

 という印象を醸し出しているのです。

 つまり――
 科学者が議論を単純にしようと努めているだけであって――
 自然科学が単純な事物を扱っているわけではないのですね。


 もちろん――
 このような議論の単純化には、それが手法上の単純化ではあっても、つねに深刻なリスクがともないます。

 本来は複雑な議論になって然るべき議論を、わざわざ単純な議論にすりかえているのですから――
 場合によっては、議論の対象の本質が見失われるかもしれません。

 そうまでして議論を単純化する理由は、

 ――再現性

 や、

 ――反証可能性

 を確保するためです。

 誰にでも議論が再現でき、誰にでも議論に反駁できる――
 そのような議論にするために、単純でわかりやすい議論にするのですね。

 単純でわかりやすい議論だから、再現できる――
 再現できる議論だから、反駁もできる――
 そういうことです。

 すぐれた自然科学の議論というのは、必ず一度くらいは、激烈な反駁の豪雨にさらされるものです。