マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“オンリーワン”の2つの意味

 ――“ナンバーワン”より“オンリーワン”

 という考え方は――
 ときどき、やり玉に挙げられます。
 
 ――自己研鑽の意義をないがしろにするものである。

 というのが――
 その趣旨です。

 すなわち、「“ナンバーワン”より“オンリーワン”」の考え方は、

 ――この世界では誰もがたった一人の“オンリーワン”であるのだから、わざわざ“ナンバーワン”を目指して悪戦苦闘をする必要はない。

 といった怠惰な発想に基づいていて、個人の成長や社会の発展を妨げる思想である――
 という批判です。

 前提にあるのは、

 ――“ナンバーワン”は努力してなるものだが、“オンリーワン”は最初から全員がなっているもの

 との仮定があります。

 が――

 ……

 ……

 この仮定――

 僕は、間違っていると思っています。

 ……

 ……

 人は――
 他者との競争に打ち勝って、“ナンバーワン”になるように――
 追随や連帯への誘惑に打ち克って、“オンリーワン”になる――

 そのように、考えています。

 たしかに――
 人は、生物的には(遺伝情報的ないし発達環境的には)誰もがたった一人の“オンリーワン”でしょう。

 が――
 このような“オンリーワン”の度合いは――

 例えば――
 過去の商業規範を打ち破ったビジネス・モデルを開発したり――
 過去の学問常識に囚われない学術研究を推進したりする場合の“オンリーワン”の度合いと比べると、

 ――無視できるくらいに僅少

 といえます。

“オンリーワン”には、2つの意味があるのです。
 これら2つの意味は、互いに関連はしていますが、同一ではありません。

 ――“ナンバーワン”より“オンリーワン”

 と本気でいっている人は――
 生物的な“オンリーワン”を意識しているのではなく――
 社会的な“オンリーワン”を意識しています。

 つまり――
“オンリーワン”も、“ナンバーワン”と同様に、相応に努力してなるものなのです。

 よって、

 ――“ナンバーワン”より“オンリーワン”

 という考え方は――
 決して怠惰な発想に基づいているわけではなく、個人の成長や社会の発展を妨げる思想でもない――
 といえます。