――源頼朝の最期の様子は詳しく伝わっていない。
ということを――
きのうの『道草日記』で述べました。
具体的には、
――死因が、よくわかっていない。
のですね。
数え53歳の年に、相模川の橋供養に出席をし――
その帰り道に、乗っていた馬から落ちて――
半月ほど臥床したのちに亡くなった、と――
伝えられています。
よって――
死因は、ふつうに考えれば、落馬の負傷といえそうです。
が――
仮に落馬をしても――
当時の馬は、今日のサラブレッドとは異なり、かなり小さな馬で――
よほど打ちどころが悪くない限りは、死因とはなりにくいはずです。
よって――
落馬によって体が深刻なダメージを受けたというよりは――
先に体が深刻なダメージを受けて、その影響によって落馬をしたと考えるほうが、無理がないのですね。
そうした体へのダメージとして、医学的に最も考えやすいのは、脳卒中です。
脳卒中は、簡単にいうと、脳の血管が破れるか詰まるかすることです。
現代でも、50代であれば、そうした血管の異常は十分に考えられます。
加えて――
晩年の源頼朝は、口渇の症状を強く訴えたと伝えられています。
口が酷く渇き、たくさん水を飲むものだから、たくさん尿が出る――
それにもかかわらず、食欲は落ちるどころか盛んなまま――
そんな病気が、当時から知られていました。
――飲水の病
と当時はいったようですが――
この病気――
おそらくは、糖尿病です。
糖尿病は、簡単にいうと、血液中の糖分を体中の細胞に取り込ませるホルモンが欠乏ないし欠損していて、血液中の糖分が過剰になってしまう病気です。
血液中の糖分が長期間にわたって過剰になると――
全身の血管がダメージを受け、やがて、脳の血管が破れたり詰まったりしやすくなります。
今日のような適切な医療を受けなければ、時間の問題といっても過言ではありません。
つまり――
源頼朝は、
糖尿病 → 脳卒中 → 落馬 → 半月ほどの臥床
の経過をたどって――
亡くなったとの仮説が成り立ちます。
が、
――そうではない。
とする仮説もあり――
こちらの方が、少なくとも歴史学的には面白いのですが――
それは――
また、あすに――