マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

退き際の放棄の理由――後継者問題

 権力の集中に成功した人物には――
 少なくとも、この国の歴史では――
 いずれも引き際がない――退き際を放棄しているようにみえる――
 ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 ……

 ……

 では――
 他の国の歴史では、どうか――

 ……

 ……

 ネットで軽く調べてみました。

 すると――
 やはり、退き際を放棄しているようにみえるケースが圧倒的多数のようです。

 なぜ、そうなるのか――

 ……

 ……

 ほとんどは後継者問題のようでした。

 後継者を巧く決められず――
 決めても、すぐに引っくり返したり、引っくり返されたりしているので――
 問題を先送りにしているうちに――
 死期を迎えています。

 例外が――
 中国・唐の高祖・李淵です。

 李淵は――
 死ぬ前に、自身の帝位を太宗・李世民に譲っています。

 ただ――
 李世民は、父と並び、自身の手で唐を建国したとみなせるくらい――
 自分自身が権力の集中に深く関わった人物です。

 よって――
 李淵からすれば、李世民に帝位を譲るのは、それほど難しいことではなかったかもしれません。

 李淵は――
 李世民の働きがなければ、自分が権力の集中を成し遂げられなかった可能性を――
 痛感していたようなところがあります。

 加えて――
 その帝位の譲り方は、まったく平和的ではありませんでした。

 李世民は――
 当初は後継者ではなかったのですね。

 後継者は別にいたのです。
 李世民の兄です。

 その兄を殺して――
 李世民は、父から帝位を譲り受けます。

 一説には――
 李世民李淵に譲位を強く迫った、とのことです。

 ちなみに――
 李世民が殺した兄は、同母兄でした。

 李淵の落胆や辛苦は想像するに余りあります。

 李淵の退き際は――
 とても、

 ――見事な退き際

 とはいえないものでした。