マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

約束の結び直しの労を惜しんでいるにすぎない

 ――約束は、ときには破っても構わない。

 と考える人が世の中には少数派ながらもあるようだ、ということを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 

 そのように考える人の主張は、僕には、よくわからないのですが――

 見聞きするところによれば――

 どうやら以下のような主張のようです。

 ――約束を結んだときには、それは正しい約束だと思っていたが、あとになって、それが間違った約束であることがわかった。間違った約束なら、破っても構わない。

 

 あるいは――

 以下のような主張もあるようです。

 ――気持ちが変わるから、約束を破るのだ。約束を結んだときには「よし、この約束を守ろう」と思っていた。しかし、その後、気持ちが変わってしまい、「この約束は守りたくない」と思うようなった。だから、約束を破るのだ。気持ちが変わるのは、仕方がないことだ。

 

 どちらの主張も、約束を破ってよい理由にはなっていない、と――

 僕は考えます。

 

 たしかに、「正しい」という直観が、あとになって「間違っている」に変わることはありえます。

 また、人の気持ちが揺れ動くことは自然であり、理屈で割り切れるようなことではありません。

 が――

 そうであっても――あるいは、そうであるからこそ――約束の結び直しが必要なのです。

 

 間違った約束を正しい約束に置き変えるために、約束を結び直す――

 気持ちに合わない約束を気持ちに合う約束に置き変えるために、約束を結び直す――

 そういうことです。

 

 ――約束は、ときには破っても構わない。

 という主張は、たんに約束の結び直しの労を惜しんでいるにすぎない、と――

 僕は考えます。