マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「女」か「人」かが保留にされた存在

 ――男は女性を「女」とみ、人は女性を「人」とみる。

 と、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 つまり、

 ――女性

 というのは、

 ――「女」か「人」かが保留にされた存在

 ということです。

 「女性」は、「女」でも「人」でもありうるのだけれども、それらのどちらに感知されるかは保留にされている、ということです。

 

 では――

 その女性をみているのは誰か――

 

 ふつうは、男性が想定されます。

 

 つまり、

 ――男性が女性をみるときに、その女性を男性が性的欲求の対象とみなす場合には「女」とみ、みなさない場合は「人」とみる。

 ということです。

 さらにいうと、

 ――男性が女性を「女」とみるときに、その男性は「男」であり、男性が女性を「人」とみるときに、その男性は「人」である。

 ということでもあります。

 保留にされるのは、客体の「女性」だけでなく、主体の「男性」も同じなのです。

 

 もちろん――

 以上の客体と主体とを入れ替えても、同じ話が成り立つと、僕は考えています。

 

 つまり、

 ――女性が男性を「男」とみるときに、その女性は「女」であり、女性が男性を「人」とみるときに、その女性は「人」である。

 ということです。