マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

創成には“喜”、守成には“憂”――

 ――清の君主について、初代ヌルハチや二代ホンタイジには気質に明るさが感じられるが、三代フリン以後(三代、四代、五代)には気質に明るさが感じられない。むしろ暗さが感じられる。

 ということを――

 10月28日の『道草日記』で述べました。

 

 三代は世祖・順治(じゅんち)帝で、諱(いみな)はフリン――

 四代は聖祖・康熙(こうき)帝で、諱は玄燁(げんよう)――

 五代は世宗・雍正(ようせい)帝で、諱は胤禛(いんしん)です。

 

 清の君主の諱――本名――は康熙帝から中国風に変わります。

 清の皇朝が少しずつ中国の慣習を取り入れていった様子がよく伝わってきます。

 

 それは、それとして――

 

 ……

 

 ……

 

 “感情の分布図”というものを考えたときに――

 初代ヌルハチは、“勇・喜”領域に配される人物であり――

 二代ホンタイジは、“喜・怯(きょう)”領域に配される人物であり――

 三代フリンや四代・玄燁、五代・胤禛は、いずれも“憂・勇”領域に配される人物である――

 ということは、10月28日の『道草日記』で述べた通りです。

 

 あらためて述べるまでもなく――

 清は、17世紀の“満州地域”に興った皇朝です。

 

 この17世紀の清が、“満州地域”から勢力を伸ばし――

 同じ“満州地域”に興った12世紀以後の金とは違って――

 首尾よく、中国の全土を支配下に収めることができたのは――

 三代目以後の君主に、“憂・勇”領域の人物が連なったからである、と――

 僕は考えています。

 

 12世紀以後の金は、そうはなりませんでした。

 

 守成期に入っても、“憂・勇”領域ではなく、“勇・喜”領域の人物が君主に連なり――

 皇朝が創成期が終わった後も、しばらく深刻な混乱が続いたのです。

 

 ――気質が明るい。

 ということは、一見、良いことです。

 

 が――

 少なくとも、皇朝の指導者についていえば――

 それは、良し悪しなのですね。

 

 指導者の気質は―― 

 創成期のうちは、明るいほうが良いのですが――

 守成期に入れば、むしろ暗いほうが良いのです。

 

 ――喜

 という明るさは、無から何かを創り出すのには向いています。

 

 が――

 創り出された“何か”を保っていくのには向いていません。

 

 一方、

 ――憂

 という暗さは――

 無から何かを創り出すのには向いていないのですが――

 創り出された“何か”を保っていくのには向いています。

 

 17世紀以後の清は――

 創成を終える頃に、ちょうど“憂”の暗さのある君主が続き――

 しかも、それら君主の全員が怯まずに勇んで、皇朝の守成に取り組んだので――

 12世紀以後の金とは違って――

 首尾よく、中国の全土を支配下に収めることができた――

 

 そういえるでしょう。