――清の康熙(こうき)帝は、孫の乾隆(けんりゅう)帝と違って、晩節を汚さなかったので、名君でありうる。
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
――名君でありうる。
とは――
要するに、
――名君でないとはいえない。
ということであり――
つまり、
――名君であることが、消極的な根拠によって支持をされている。
ということです。
では――
積極的な根拠はないのかといえば――
もちろん、そんなことはなくて――
……
……
僕は思っています。
その積極的な根拠は、
――三世(さんせい)の春
という文言の存在です。
この文言は――
康熙帝・雍正(ようせい)帝・乾隆帝の3人の治世を指しています。
――三世
とは、
――3人の治世
くらいの意味です。
これら3人の皇帝が君臨をしていた時代に、中国の全土は空前の繁栄を楽しみました。
そんな世相を、
――春
に喩えたのです。
3人の治世の元号の最初の一字をとって、
――康雍乾(こうようけん)盛世(せいせい)
といったり――
あるいは、康熙帝・乾隆帝の治世が60年以上におよぶ一方、雍正帝の治世が10年余りにとどまっていることを踏まえ、
――康乾(こうけん)盛世
といったりもします。
11月9日の『道草日記』で、
――後世の人々から高い評価を受けている明君が名君である。
と述べました。
――三世の春
は、紛れもなく、後世からの高い評価が具現化されたものです。
具体的には――
乾隆帝より後の時代の人々によって、主に康熙帝へ送られた評価といえます。
――三世の春
という文言を口にする人は――
17世紀から18世紀にかけて中国の全土を覆った空前の繁栄が、康熙帝によってもたらされたことを前提とし、かつ、その繁栄が乾隆帝によって次の代に持ちこされなかったことを前提としているのです。
よって、
――三世の春
は、康熙帝が名君であることを示しているだけでなく――
乾隆帝が名君でないことも示しているといえます。