マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

明治維新も大化の改新もクーデターで始まっている、と述べていたら……

 ――明治維新大化の改新もクーデターで始まっている。

 ということを、最近の『道草日記』で述べていたら――

 

 きのう――

 実際にミャンマーでクーデターが起こったようです。

 

 ……

 

 ……

 

 ――クーデターは、起こるのと起こらないのと、どちらがよいか。

 と訊かれれば――

 多くの人は、

 ――起こらないのがよい。

 と答えるでしょう。

 

 僕も、そう答えます。

 

 なぜなら、

 ――クーデターは、しょせんはズルだから――

 です。

 

 力のある者が――たいていは、国家や国家的組織の軍事を司っている者が――ズルをして――通常の政治的な手続きをなかったことにして――起こすのがクーデターです。

 

 その意味で――

 今回のミャンマーで起こったらしいことは、残念に思います。

 

 が、

 ――軍事を司っている者が政治を司る。

 というのは――

 有史以来、人の世に厳然として存在をする原理なのですよね。

 

 クーデターの良し悪しの評価は措いておいて――

 その原理だけは受容をしなければならない、と――

 僕は思います。

 

 そうしなければ――

 下手をすると――

 人の世では生きていけない――

 

 悲しいことですが――

 それが現実です。

 

 ……

 

 ……

 

 以上を踏まえた上で――

 あえて指摘をしておきたいのですが――

 

 クーデターが成功をするときは――

 必ず、そのクーデターへの人々の支持が、ある程度は集まったときです。

 

 明治維新大化の改新もクーデターで始まり――

 それらは一応は成功をしたといってよいと思いますが――

 

 そうなったのは、明治維新大化の改新への人々の支持が、それらの時代において、ある程度は集まったことを示します。

 

 今回のミャンマーで起こったらしいことに対し――

 人々の支持がどれくらい集まりそうなのか――

 注視をしていきたいと思います。