マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

純虚数の速さで移動をする者は

 ――光速に近い速さで移動をする者にとっては、時間の流れは遅くなる。

 という相対性理論(the theory of relativity)が与える保証とは反対の保証、

 ――〇〇に近い速さで移動をする者にとっては、時間の流れは速くなる。

 が仮に得られたとしても――

 過去への時間旅行が可能になることはない――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 そもそも――

 この「相対性理論が与える保証とは反対の保証(実際には「保証」ではなく、「仮定」――)」というのが眉唾でして――

 とくに「〇〇に近い速さ」の部分が、ひどく眉唾でして――

 そんなに真面目に考える気はないのですが――

 

 それでも――

 ちょっと考えてみますと――

 もし、この「〇〇に近い速さ」の部分を、「純虚数の速さ」に置き換えて、かつ、相対性理論が求める前提は「すべて成り立つ」とみなし、これらを受け入れたとすると――そんなことが許されうるのかどうかは、とりあえず措いておいて、これらを受け入れたとすると――
 たしかに、時間の流れは速くなります。

 

 つまり、

 ――純虚数の速さで移動をする者にとっては、時間の流れは速くなる。

 と、いえないこともない――

 

 このことを鵜呑みにした上で――

 何が起こるのかというと――

 

 決して、

 ――過去への時間旅行が可能になる。

 というわけではない――

 ということです。

 

 起こるのは――

 例えば、

 ―― 10 年後の未来へ、30 年で辿り着ける。

 ということです。

 

 つまり、

 ―― 30 年後の未来から振り返る場合の 20 年前の過去へ、辿り着ける。

 ということなのですね。

 

 ―― 30 年後の未来から振り返る場合の 20 年前の過去

 というのは――

 現在にとっては未来です。

 

 よって――

 これは、

 ――過去への時間旅行

 ではありえません。

 

 ――より近い未来への時間旅行

 です。

 

 いいかえるなら、

 ――純虚数の速さで移動をする者は、その場にとどまっている者よりも、より近い未来へ辿り着く。

 ということです。