――過去へ旅行に出かけ、過去の自分を殺してしまったら、過去へ旅行に出かけている現在の自分は、どのように説明をされるのか。
という疑問には答えられないけれども、
――未来へ旅行に出かけ、未来の自分を殺してしまったら、未来へ旅行に出かけている現在の自分は、どのように説明をされるのか。
という疑問には、明確に答えられる――
ということを、きのうの『道草日記』で述べました。
つまり――
現在の自分が未来へ旅行に出かけたら、現在の自分は存在をしなくなるので、未来の自分も存在をしなくなる――
よって、現在の自分が未来へ旅行に出かけ、未来の自分を殺す、ということは起こりえない――
との説明がなされえます。
……
……
これと同じような説明で、
――過去へ旅行に出かけ、過去の自分を殺してしまったら、過去へ旅行に出かけている現在の自分は、どのように説明をされるのか。
という疑問に答えられないか否かについて――
少し考えてみましょう。
つまり――
現在の自分が過去へ旅行に出かけたら、現在の自分は存在をしなくなり、また、過去の自分も存在をしなくなる――
よって、現在の自分が過去へ旅行に出かけ、過去の自分を殺す、ということは起こりえない――
との説明は可能か否か――
です。
……
……
結論からいえば、
(ちょっと苦しい説明――)
となります。
最も苦しいのは、
――現在の自分は存在をしなくなり、また、過去の自分も存在をしなくなる。
の部分です。
要するに――
現在の自分が存在をしなくなると、どういうわけか、過去の自分も存在をしなくなる――
ということなのですが――
そうなる必然が、まるでわかりません。
よって、
――未来への時間旅行が実現可能である。
という主張と同じように、
――過去への時間旅行は実現可能である。
という主張を行うことには相当の無理がある――
といえるのです。