マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“フェルミの逆説”に“オッカムの剃刀”を使うと……

 ――フェルミの逆説(Fermi paradox)

 に対する答えに、

 ――オッカムの剃刀(Occam's razor)

 の発想を当てはめることは――

 20代や30代の僕なら、しなかった――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 では――

 当時の僕は、

 ――フェルミの逆説

 について、どう考えていたかというと――

 

 ――我々以外の知的生命体は存在をしているが、地球には到達をしていないために、我々には出会えていない。

 と考えていました。

 

 つまり、

 ――我々以外の知的生命体の存在

 を、ごく自然に、仮定していたのですね。

 

 今の僕は、

 (もし、この宇宙に、僕ら以外の知的生命体が本当に存在をしていたら、とっくの昔に地球へやってきていて、僕らを見つけ出し、殺し尽くすか完全に従えているかしているはず――)

 と考えます。

 

 そのような悲惨な事態――僕らにとっての悲惨な事態――が現在、生じていないことは、明らかのように思えます。

 殺し尽くされていれば、僕らは存在をしていませんし、完全に従わされているのなら、そのことに僕らは嫌というほど痛烈に気づかされているはずです。

 

 ということは――

 

 僕ら以外には知的生命体は――

 ただの一種も存在をしていないのではないか――

 

 もちろん――

 そうした知的生命体が、実は何種かは存在をしていて――

 彼らは、どういうわけか残らず、僕らのことを見すごしている、とか――

 彼らは非常に善なる存在であり、僕らを温かく見守ってくれている、とか――

 と都合よく考えることもできます。

 

 が――

 そのように考えるには――

 余計な仮定が必要なのです。

 

 ――どういうわけか残らず、僕らのことを見すごしている。

 とか、

 ――非常に善なる存在である。

 とか――

 

 ……

 

 ……

 

 ――オッカムの剃刀

 の切れ味は抜群です。

 

 ――この宇宙には、我々以外の知的生命体は存在をしていない。存在をしていないから、我々は、我々以外の知的生命体に出会っていないし、殺し尽くされてもいないし、完全に従わされてもいない。

 

 そう考えることができます。