マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

僕らが毎日、全員で続けている“時間旅行”

 ――光速に近い速さで移動をする者にとっては、時間の流れは遅くなる。

 という保証――相対性理論(the theory of relativity)が与える保証――からは、

 ――より遠い未来への時間旅行

 の可能性が示されて――

 他方、

 ――純虚数の速さで移動をする者にとっては、時間の流れは速くなる。

 という保証――相対性理論が与える保証とは反対の内容の仮定(自然科学的には、かなり怪しい内容の仮定)――からは、

 ――より近い未来への時間旅行

 の可能性が示される――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 何がいいたかったのかと、いいますと――

 

 要するに、

 ――時間旅行は未来へしか出かけられない。

 と、いうことです。

 

 多少なりとも自然科学に基づくならば――

 どんなに突飛な仮定を幾つも重ねたところで、

 ――時間旅行は未来へしか出かけられない――決して過去へは出かけられない。

 と、いえます。

 

 以上を踏まえて――

 よく考えてみますと――

 

 ――未来への時間旅行

 というのは――

 別段、珍しいことではないのですね。

 

 僕らが日常的に体験をしていることである、と――

 すぐに気づきます。

 

 この地球上において――

 僕らは全員、毎日、未来への時間旅行を続けているのです。

 

 もちろん――

 その“時間旅行”は、まったく旅行らしく感じられません。

 

 なぜかといえば――

 その“時間旅行”は、行き先も進み方も全員が完全に等しいからです。

 

 “時間旅行”が、旅行らしく感じられるためには――

 行き先や進み方が、ある程度は自由に決められることが必要です。

 

 あるときは未来へ赴き、あるときは過去へ赴く――

 あるいは――

 あるときは遠い未来へ赴き、あるときは近い過去へ赴く――

 

 そういう自由は、

 ――決して許されない。

 それが――

 僕らの知っている“時間旅行”――この地球上において、僕らが全員、毎日、続けている“時間旅行”――なのです。