マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

能動SETIは主導権を手放すことになる

 ――地球外知性の探査(SETI, Search for Extra Terrestrial Intelligence)

 は、純粋に自然科学的な活動とはいえず――

 多少なりとも人文学的で、多分に社会科学的でもある――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 よって――

 自然科学的な発想のみに頼って活動を続けていくのは危ういといえます。

 

 例えば、

 ――地球外知的生命体からの発信を探し出して受けとろうとする活動――受動(passive)SETI

 では成果が得られなかったことを踏まえて、

 ――地球外知的生命体が存在をしていそうな恒星系へ発信を行う活動――能動(active)SETI

 へ切り替えていこうという発想は――

 自然科学的には、ある程度の合理性が認められます。

 

 つまり、

 ――地球外知的生命体はいる。

 と仮定をして、受動SETIを試みたところ――

 この70年ほどの間、ほとんど成果を得られなかったために――

 その仮定は、ほぼ否定をされつつあるので――

 今度は、

 ――地球外知的生命体はいない。

 と仮定をして、能動SETIを試みる――

 というのは、まずまず自然科学的な発想といえます。

 

 が――

 もし、能動SETIの結果、地球外知的生命体が発見をされてしまったら――

 その途端――

 僕らは、その地球外知的生命体に対し、後手を踏むことになるのです。

 

 彼らは、間違いなく僕らよりも先に、自分たちの以外の知的生命体の存在に気づくのです。

 

 つまり――

 彼らは、僕らに対し、先手を打ってくる――

 

 そんな彼らが、僕らに対し、友好的ないし保護的であるという保証はありません。

 もしかしたら、攻撃的ないし支配的かもしれない――

 

 そうであれば――

 彼らとの戦いは避けられないでしょう。

 

 戦いの相手に先手を打たれては、致命傷となりかねません。

 

 また――

 もし、仮に、彼らが友好的ないし保護的であったとすれば――

 戦いにはならないと思います。

 

 が――

 彼らとの関係における主導権を握るのは、僕らではありません――彼らになります。

 

 交渉や対話でも――

 相手に主導権を握られるのは、決して良いことではありません。

 

 よって――

 能動SETIは、もし、地球外的生命体が実在をしていたら――

 彼らに対し、みすみす主導権を手放すことになるのです。